2010年4月以降と経営問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 09:10 UTC 版)
「兵庫エフエム放送」の記事における「2010年4月以降と経営問題」の解説
旧法人は、2009年12月22日の臨時株主総会において、資源採掘会社の日本・ボルネオ・エネルギー株式会社を引受先とする6,300万円の第三者割当増資を決議。これにさかのぼり18日、代表取締役社長の平沢正博が会長に就き、広告代理店シーエムパックの城田渉が社長に就任する人事を発表した。 2010年2月10日、神戸新聞の報道により、平沢社長時代の2007 - 2008年度の売上高を粉飾決算した疑いが発覚(2007年に約2億円、2008年に約4億円を粉飾)した。ボルネオは「会計に不明朗な点があるとして出資を見合わせる」と報じられた。当局は記者会見を開き、旧経営陣に対し損害賠償訴訟を起こした。翌3月6日には、「経費削減に区切りがついた」として城田が取締役に退き、新たに取締役の相田勲が代表取締役社長に就任した。 帝国データバンクの調べでは、「第三者割当増資先から払込期限を過ぎた3月25日に6,300万円の入金」があり、同日出金されるという不明瞭な会計が行われた。 大株主であるエフエム東京は新経営陣が旧経営陣と関係がある事を理由に臨時株主総会の招集を請求。4月15日に旧法人の臨時株主総会が開かれる事が決まる。総会を前にJFNは旧法人に対して同月末での除名を通達する。総会直前の13日、株式会社SRCグループ代表の横山剛が日本・ボルネオ・エネルギーによる議決権行使差止めの仮処分の申立てをし、総会当日の15日朝、神戸地方裁判所はこれを認め、同社は臨時株主総会で議決権行使ができなくなった。 15日午後の臨時株主総会では、相田をはじめとする経営陣が流会を宣言して退席した後、残った株主のみで、相田ら取締役5人の解任案とエフエム東京常務の唐島夏生ら3人の取締役選任案を賛成多数で可決。続いて開催された取締役会で横山が旧法人の代表取締役社長に就任した。翌16日の新経営陣による社員説明会にはこれを認めない旧経営陣も押しかけ、警察が割って入る騒動に発展した。相田は19日、「株主総会無効及び地位の確認を求める訴訟を提起する」と記者会見で発表した。 28日、旧法人は神戸地裁に民事再生法の適用を申請し受理され、保全命令を受けた。負債総額は6億7千万円だった。日本で倒産法の適用を受けた地上波民放局(コミュニティ放送を除く)は、1994年の京都放送(会社更生法適用)、2008年のエフエム九州(新旧分離による清算)に次ぐ3例目である。 またこの日、JFNは「放送局の社会的信用を失墜させた」として旧法人に2010年4月30日付けで除名することを通知した。全時間帯の6 - 8割強をJFNからの配信に頼っているが、JFN側は「改善が見られない限り5月末で配信を打ち切る」と発表した。ただ、JFNから完全に縁を切られた訳ではなく、コンプライアンス体制整備をJFN再加盟の条件としていた。なお、JFN史上ネットワーク局の除名は初めてである。 旧法人に対して譲渡受け入れをしめしたのは、エフエム東京と横山剛率いるSRCグループ、それに東京タワー(現・株式会社TOKYO TOWER)が出資して2010年5月19日付で設立した兵庫エフエム放送株式会社(新法人)1社で、旧法人は同月27日の取締役会で経営譲渡先として新法人への事業譲渡を決定、旧法人は会社清算する見込みとなった。この時、旧法人側は10月1日までに経営譲渡を終えたいとしていた。同日、JFNは番組配信打ち切り期限を5月末から9月末まで延長する事を発表した。 経営譲渡を4日後に控えた9月28日、JFNが番組配信停止の猶予期間をさらに延長することが明らかになる。翌29日、総務省は放送事業の免許を新法人が10月1日付で承継する許可を発表した。JFNが新法人の加盟審査を行う11月までは暫定的にJFNの番組配信を受けられることになった。これに伴い旧法人は清算され、新法人に1億円で事業譲渡する事になった。放送局の経営破綻に伴う新旧分離は前述のエフエム九州以来2例目となった。 10月1日 0:00をもって正式に旧法人から新法人に事業譲渡された。新法人の愛称はKiss FM KOBE(KissとFMの間のハイフンが無くなった)で、同時に公式ウェブサイトもリニューアルされた。ドメイン名は旧法人時代と同じものを引き続き使用している。なお、同日は開局から20周年にあたる日でもあり、ターザン山下とジェフリー・ジェムズによる記念特別番組を放送した。 11月4日、JFNは新法人の新規加盟を決め、Kiss-FM KOBE時代に一旦除名していたJFN系列のネットが再開された。 新法人の発足後は、社長に就任した横山の「ほとんどの番組が自社制作で、よく聞かれていたころの(独立局時代の)Kiss FM KOBEを思い出してもらう必要があるだろう」という方針のもと、夕方のワイド番組だけに減少していた自社制作番組の再拡充を行い、旧法人時代末期に、広告収入が高額なことから放送が増加していた(薬事法制的にグレーと思われる)健康食品のCMを辞退するなど、放送内容のテコ入れを行った。また看板広告の設置やフリーペーパー『Kiss PRESS』の刊行など、広報活動にも力を入れた。 2011年4月12日、ラジオ関西・KBS京都・和歌山放送・ラジオNIKKEIと同時にradikoの試験配信を開始。同局は近畿広域圏全域への配信が行われた。 2014年3月31日、文字多重放送を終了。 10月4日、グランフェスタ6番街(姫路市)にサテライトスタジオを開設した(2017年8月26日閉鎖)。
※この「2010年4月以降と経営問題」の解説は、「兵庫エフエム放送」の解説の一部です。
「2010年4月以降と経営問題」を含む「兵庫エフエム放送」の記事については、「兵庫エフエム放送」の概要を参照ください。
- 2010年4月以降と経営問題のページへのリンク