2000年のリコール隠し事件
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「三菱リコール隠し」の記事における「2000年のリコール隠し事件」の解説
2000年(平成12年)7月18日までに、当時販売台数ベースでトヨタ自動車・日産自動車・本田技研工業に次ぐ乗用車国内シェア4位の自動車メーカーであった三菱自動車工業(三菱自工)が、1977年(昭和52年)から約23年間にわたり、10車種以上(最初の届け出だけでもランサーエボリューションを含むランサー、およびギャラン、レグナム、ディアマンテ、パジェロ、シャリオグランディスなど乗用車系で6件約45万9000台、大型・中型トラックで3件約5万5000台)、計18件約69万台にのぼるリコールにつながる重要不具合情報(クレーム)を、運輸省(現・国土交通省)へ報告せず、社内で隠蔽している事実が、同年6月12日に運輸省自動車交通局のユーザー業務室に、三菱自動車社員による匿名の内部告発による通報で発覚した。 内部告発の内容は、不正の要所を衝いており、どのように調査を進めるべきか、どこに資料や情報が隠されているか、どのように隠蔽工作を見破るべきかまで指示する具体的なものであった。「品質保証部の更衣室の空きロッカーを調べよ」「本社と岡崎の情報を突合せよ」という、あまりにも具体的過ぎる情報である。 運輸省によると、三菱自工はユーザーからのクレーム情報を、本社の品質保証部に10段階で集約・管理していたが、クレーム情報のうち、運輸省向け届出情報は1 - 3段階目まで「Pマーク」を、運輸省に知られたくない物など4 - 10段階に「秘匿」の意味で「Hマーク」を付けて区分し、同省の定期監査では、H区分のクレームを提示していなかった。二重管理による情報仕分けは、1977年(昭和52年)から行われ、同社が東芝に作らせた品質情報管理システム を導入した1992年(平成4年)以降は、コンピュータシステムのデータベースで分類していた。 その一方で、リコール制度発足から30年以上にわたって、運輸省に欠陥を届け出ずにユーザーに連絡して回収、修理する「ヤミ改修」も行われていた。リコールの案件は、「ランサーなどでエンジン関連部品のクランクシャフトのボルトに欠陥があり、エンジンが停止する」「ギャランなどで燃料タンクのキャップが壊れ燃料が漏れる」「RVRの電動スライドドアが不具合を起こす」など。 一連のリコール隠しにより欠陥車を放置した結果、同年6月には熊本市内で、ブレーキの欠陥によりパジェロがワゴン車に追突、ワゴン車に乗っていた2人が首に2週間の怪我をする人身事故が発生している。このリコール隠し事件の責任を取り、当時の代表取締役社長であった河添克彦が同年8月28日に引責辞任する意向を固め、9月8日の正式発表 を経て11月1日付で辞任した。 また同年8月27日には、警視庁交通捜査課などが道路運送車両法違反の疑いで、三菱自工本社や岡崎工場(愛知県)など5ヵ所を家宅捜索した。 東京地方検察庁は翌2001年4月25日、1999年の運輸省の立入検査で約1万300件の不具合情報を隠したとして、三菱自工の宇佐美隆副社長らを道路運送車両法違反(虚偽報告)容疑で書類送検した。副社長らは5月8日、東京簡易裁判所から罰金20万円、法人としての三菱自工も同40万円の略式命令を受けた。 この時点で、国土交通省から「全ての自動車欠陥情報を開示」するよう求められたが、1997年以前の不具合情報を隠蔽し続け、クラッチやハブの欠陥対策をとらなかった。 2002年3月5日、熊本県警察は前述のパジェロの事故の原因がクレーム隠蔽にあるとして、当時の三菱自工の品質技術本部・市場品質部長を担当していた社員3名を業務上過失傷害容疑で熊本地方裁判所に書類送検し、熊本簡易裁判所はそれぞれに罰金50万円の略式命令を言い渡した。 このリコール隠しで、三菱自工は市場の信頼を失い販売台数が急減。最高経営責任者(CEO)に、資本提携先のダイムラー・クライスラーからロルフ・エクロートを迎え入れ経営再建をはかるが、2002年、大型車(ザ・グレート、スーパーグレート、エアロバス、エアロクィーン、エアロスター、エアロキングなど)のタイヤ(ホイール)脱落事故が発生し、構造上の欠陥と更なるリコール隠しの疑念が濃厚となる。
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