2000年の一時解除
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「ゼロ金利政策」の記事における「2000年の一時解除」の解説
1999年(平成11年)末には、アメリカのITバブルの波及で日本にも急速な景況改善が見えてきた。翌春にはITバブルは崩壊したが、しばらく日本経済の小康状態が続いたことなどから、2000年(平成12年)8月11日の金融政策決定会合でゼロ金利政策は解除が決定された。解除案の採決では9人の政策委員の内賛成7、反対2という結果だった(反対したのは元東亜燃料工業社長の中原伸之と東大教授の植田和男)。日銀がデフレ懸念は払拭されたとしていた一方で、政府や日銀の外部では時期尚早という見解が大半であった。金融政策決定会合では政府代表が議会の延期を求める事態となり、解除を前に市場は一時混乱した。 その後世界的な同時不況が訪れ、2000年(平成12年)末に景気後退が始まった。このため、早くも翌2001年2月末には政策金利である無担保コールレートは0.25%から0.15%に引き下げられ、3月には量的緩和が開始されて無担保コールレートは実質的にゼロに低下し、再びゼロ金利政策が始まった。 2000年(平成12年)8月の時点では、消費者物価は前年比で下落を続けており、政府は物価が持続的に下落するデフレが続いているとして、ゼロ金利政策の解除に反対する姿勢を見せた。しかし、日銀は物価の下落を良いデフレとして問題ではないとする立場をとった。 2001年(平成13年)以降の金融緩和の中で長期金利は低下を続け、2003年(平成15年)には0.43 %にまで落ち込んだ。この0.43 %という長期金利は世界史上最も低い利率とされる。
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