2000年のゴアの敗北
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「アメリカ合衆国民主党の歴史」の記事における「2000年のゴアの敗北」の解説
2000年の大統領選挙では、民主党は現職副大統領のアル・ゴアを候補に指名した。対する共和党はジョージ・H・W・ブッシュ元大統領の息子ジョージ・W・ブッシュテキサス州知事を候補に立てた。ゴアは選挙運動中、クリントンと距離を置いたが、共和党はクリントンのスキャンダルを積極的に利用し、民主党を批判した。また、一部の批評家は、ゴアとブッシュの政策は似すぎている、特に自由貿易、社会保障費削減、死刑制度存続についてはほとんど変わらないと批判した。特にアメリカ緑の党から大統領に立候補したラルフ・ネーダーはゴアの政策を激しく批判した。 ゴアはブッシュに対して一般投票で50万票余りの差をつけたが、選挙人投票では4票差で敗北した。民主党員の多くは、ネーダーの第三極の形成により票が分散したのが敗因と非難した。ニューハンプシャー州(選挙人数4)とフロリダ州(選挙人数25)でネーダーが獲得した票が、ブッシュとゴアの得票差よりも大きかったからである。特にフロリダでは、ネーダーが9万7000票を獲得したのに対し、ブッシュとゴアの得票差はわずかに537票であった。しかも、フロリダ州では集計作業で混乱が生じ、結果の確定に時間がかかっただけでなく、選挙における不正への批判が噴出するなど混乱が生じた。選挙の後、ゴアは数年にわたって政界を離れた。 大統領選でゴアが惜敗を喫したのに対し、議会選挙では民主党が上院で5議席伸ばし(ニューヨーク州のヒラリー・ロダム・クリントンを含む)、これにより、選挙前には55対45で10議席差を付けられていた共和党と議席数で並んだ。実際には、賛否同数の際には上院議長を務める副大統領が投票するという規定のため、共和党が多数党となったが、2001年、バーモント州選出のジム・ジェフォーズ(英語版)上院議員が共和党を離党し、民主党会派として投票することになり、多数党の地位が民主党に移った。これとともに議会の運営を支配する多数党院内総務も、各委員会の議長職も民主党のものとなった。
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