2000年ごろの各チームの動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 10:26 UTC 版)
「九州一周駅伝」の記事における「2000年ごろの各チームの動向」の解説
大会発足当初より福岡県と宮崎県が毎年優勝争いを繰り広げ、これに長崎県が食い下がる図式となっていた。 宮崎県は2004年まで24連覇し、一時は大会無意味論や宮崎県排除論が起こるほど圧倒的な強さを誇った。しかし、ほとんどの選手を旭化成勢が占めていた状態を2002年ごろから改め、他の実業団選手や市民ランナーの育成を図るチーム構成を進めるようになったことで、ついに2005年は福岡県に大差をつけられての優勝を許した。 2006年は厚い選手層を作り上げた福岡県が連覇を果たしたが、世代交代に成功しつつある宮崎県が前半をリードするなど優勝争いは激しさを増していた。2010年には覇権を奪還した。 山口県は2005年まで優勝争いの活躍を続けてきたが、カネボウが経営再建で防府工場を売却したことに伴い2006年4月に陸上競技部をブランド継承先のカネボウ化粧品本社がある東京都に移転したことで、「カネボウ頼み」だったチーム構成の転換を迫られ、その後の苦戦が予想されていた。 長崎県は、特に十八銀行で女子の活躍に刺激され男子も力を付けている影響が表れていた。
※この「2000年ごろの各チームの動向」の解説は、「九州一周駅伝」の解説の一部です。
「2000年ごろの各チームの動向」を含む「九州一周駅伝」の記事については、「九州一周駅伝」の概要を参照ください。
- 2000年ごろの各チームの動向のページへのリンク