2000年から2019年まで - スタジアム移転と低迷
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「シンシナティ・ベンガルズ」の記事における「2000年から2019年まで - スタジアム移転と低迷」の解説
2000年にチームはポール・ブラウン・スタジアムに移転した。チームは開幕から3試合合計で7得点しか取れず、3試合目のボルチモア・レイブンズ戦で0-37と敗れた試合がコスレットヘッドコーチの最後の試合となった。彼がヘッドコーチの期間、チームは21勝39敗であった。後任にはディフェンスコーディネーターを務めていたディック・ルボーが就任した。ルボーはゾーンブリッツを取り入れチームのディフェンスは向上したが、チームの勝利には直結せず2002年は2勝14敗に終わるなど、12勝33敗でチームを去った。 2000年10月22日のデンバー・ブロンコス戦でコーリー・ディロンがそれまでウォルター・ペイトンが持っていた1試合のラッシングNFL記録である275ヤードを更新する278ヤードを走り、チームは31-21で勝利した。 2003年にボルチモア・レイブンズ、ワシントン・レッドスキンズでディフェンスコーディネーターを務めたマービン・ルイスがヘッドコーチに就任した。またドラフト全体1位でQBカーソン・パーマーを指名した。パーマーはこの年出場機会を得られなかったがQBジョン・キトナがカムバック賞を受賞する活躍を見せて、チームは開幕から9連勝していたカンザスシティ・チーフスを破るなど8勝8敗で終えた。シーズンオフにルイスヘッドコーチは4年契約を結んだ。 2004年には2年目のカーソン・パーマーが先発QBとなった。同年のブラウンズ戦は58-48という1970年にAFLとNFLが統合して以降、両チームによる合計得点最高記録を樹立することとなった試合を制した。この年は8勝8敗で終えた。 2005年、チームは1990年以来15年ぶりに勝ち越し、11勝5敗で地区優勝を果たし15年ぶりにプレーオフ進出を果たしたが初戦で同地区のライバル、ピッツバーグ・スティーラーズに敗れてシーズンを終えた。 2006年には選手9人が逮捕されるなどフィールドの外での不祥事が目立った。チームは8勝8敗でシーズンを終えた。 その後2007年は7勝9敗で終えた。 2008年、この年はけが人が続出しエースQBのパーマーは4試合しか出場できず、開幕から8連敗したもののこのシーズンからディフェンスコーディネーターとなったマイク・ジマーによりディフェンスは改善されて最後の3試合では9Q連続で相手にタッチダウンを許さず後半の8試合を4勝3敗1分とし4勝11敗1分でシーズンを終えた。 2009年、過去3シーズンチームトップのレシーブヤードを獲得していたT・J・フーシュマンザーデとの再契約を目指したが彼はシアトル・シーホークスに去った。この年10月8日にマイク・ジマーディフェンスコーディネーターの妻が亡くなり、12月17日にはクリス・ヘンリーが事故死するという不幸が重なった。チームはそれを乗り越え10勝6敗で4年ぶりに地区優勝を果たすと共に同地区対決で6戦全勝した。これはチーム創設以来の快挙であった。9月20日のグリーンベイ・パッカーズ戦ではアントワン・オドムが5サックをあげた。10月4日のクリーブランド・ブラウンズ戦ではオーバータイム残り4秒でシェーン・グレアムが31ヤードのFGを決めて23-20で勝利した。プレーオフ初戦でニューヨーク・ジェッツに敗れた。シカゴ・ベアーズに在籍していた当時問題児扱いされ前年にチームに加入したセドリック・ベンソンが1,251ヤードを走った。 2010年、チームには優勝を渇望しているベテランWRテレル・オーウェンスが加入したが、チームはミスが目立ち不振にあえいでいる。 2011年、カーソン・パーマーがチームから放出されることを訴えた。チームはドラフト1巡でWRのA・J・グリーン、2巡でQBのアンディ・ダルトンを獲得、チームは9勝7敗でAFC北地区3位ながらプレーオフ出場を果たした。なおトレード期限ぎりぎりにパーマーはオークランド・レイダースに2012年のドラフト1巡、2013年のドラフト2巡指名権と引き換えにトレードされた。シーズンは、グリーンとダルトンの新人コンビが、合計1057ヤードを獲得するなど活躍を果たし、ワイルドカード枠でプレーオフへの進出を果たした。プレーオフではヒューストン・テキサンズに敗れてシーズンを終えた。 2012年、10勝6敗となり2年連続でプレーオフに出場した。しかし、プレーオフ初戦で再びテキサンズに敗れ敗退となった。 2013年、地区優勝を果たし、3年連続でプレーオフに進出するも、初戦でサンディエゴ・チャージャーズに敗れ敗退した。マイク・ブラウンのオーナー就任以降のプレーオフ戦績は0勝5敗となった。 2014年、開幕4連勝を果たすなど好調を維持し、チーム初となる4年連続でプレーオフに進出する。しかし、初戦でインディアナポリス・コルツに敗れ、4連続のプレーオフは全て初戦敗退となった。 2015年、開幕8連勝を果たすも後半に敗戦が続いた。地区優勝で進んだプレーオフではピッツバーグ・スティーラーズにラスト1分での逆転負けを喫し、NFL史上初となる5年連続プレーオフ初戦敗退という不名誉な記録となった。 2016年、アンディ・ダルトン、ジョニー・バーナード、ジェレミー・ヒルら主力が相次いで離脱し、プレーオフの連続出場記録は途絶えた。ダルトンにとってはプレーオフに進出しなかった初めてのシーズンとなった。 2017年、開幕から敗戦が続き、マービン・ルイスHCの進退もかかっていたが、7勝9敗でシーズンを終え、プレーオフ出場とならなかったものの、ルイスは残留が決まった。 2018年、開幕こそ好調だったものの、次第に負けが込み始め、ディフェンス・コーディネーターのテリル・オースティンがシーズン中に解雇される。その後、A・J・グリーンの負傷などもあり、3年連続でプレーオフを逃し、地区最下位に沈んだ。マービン・ルイスは、契約を1年残し引退を表明した。後任としてロサンゼルス・ラムズでQBコーチを務めていたザック・テイラーが就任した。 2019年、開幕から低空飛行を続け、11試合終わったところで全敗となった。最終的には2勝12敗の地区最下位かつリーグ最下位となるも、翌年のドラフト1位指名権を獲得した。
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