1号機における事故の進展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:52 UTC 版)
「福島第一原子力発電所事故」の記事における「1号機における事故の進展」の解説
1号機(北緯37度25分22.7秒 東経141度1分58.7秒 / 北緯37.422972度 東経141.032972度 / 37.422972; 141.032972 (東電・福島第一原発「1号機」原子炉建屋))では、3月11日14時46分の地震発生後、14時52分に原子炉を冷却する非常用復水器が起動したが、急激な圧力低下を緩和するため(圧力容器の破損を避けるため)作業員は手動での操作(起動・停止を繰り返し)に切り替えた。その操作中の15時半頃、津波に襲われ、15時50分に非常用電池が水没して遮断状態のまま非常用復水器が使用不能(電源喪失時にはバルブが閉になる)になり、同時に計器、動弁電源も失われた。東京電力は、17時に電源車を出動させたが交通渋滞で動けず、18時20分に東北電力に電源車の出動を要請したが、到着は22時で、津波の被害・電圧不一致もあって、翌3月12日15時まで接続できなかった。 一方11日19時30分に1号機の燃料は蒸発による水位低下で全露出して炉心溶融が始まり、20時50分から動かしていたディーゼル駆動消火ポンプも翌12日1時48分に機能停止、翌12日明方6時頃には全燃料がメルトダウンに至ったとみられる。1号機は上記の経緯で、地震発生後5時間で燃料が露出したとみられ、15時間ほどで炉心溶融したと思われる。 東京電力は11日夕方から夜にかけて、非常用復水器が停止していることを認識せず、注水が行われているとみていた(後述)。ところが11日23時頃から1号機原子炉内圧力の異常な上昇を検知し、格納容器内部圧力は設計強度の1.5倍にも達したため、3月12日0時6分頃、福島第一原発所長の吉田昌郎は、ベントの準備をするよう指示した。 経済産業大臣海江田万里も3月12日早朝、大量の放射性物質が大気中に放出されるおそれ、また水素爆発低減用に充填されている窒素も抜けてしまうおそれは承知の上で、ベント実施を命令し、内閣総理大臣菅直人も福島第一原発を訪れて、ベントを急ぐように指示した。菅の突然の訪問予定に第一原発の吉田所長は難色を示し、人員に余裕がないため一人で応対しようと決めた。菅は第一原発に向かうヘリコプターに同乗した原子力安全委員長班目春樹に「俺の質問にだけ答えろ」と命じて他の説明を拒否したとされる。 東京電力は12日9時頃にウェットベント作業を開始。しかし、操作マニュアルの不備や、高濃度の放射線に現場が汚染されたことでベントの作業は難航し、14時30分にようやくベント成功を確認した 。 その1時間後の3月12日15時36分、1号機の原子炉建屋は水素爆発を起こして大破した。この瞬間の様子は、福島中央テレビが福島第一原発から約17 km離れた富岡中継局(北緯37度17分14.7秒 東経140度57分4.9秒 / 北緯37.287417度 東経140.951361度 / 37.287417; 140.951361 (福島中央テレビ富岡中継局))に、2000年より設置していた情報カメラが撮影していた。その映像によれば、1号機から火炎を視認できない透明な爆発と同時に地面を這うような白煙が広がった。水素爆発の原因は、圧力容器が損傷したことで原子炉建屋内に水素が充満していたか、あるいはベントにより排出された多量の水素を含む水蒸気が、原子炉建屋のオペレーションフロアに流れ込んだためと諸説ある。 福島中央テレビが撮影した映像は、3月12日15時40分に福島県ローカルのみで放送され、その1時間10分後の16時50分にNNN全国ネットで放送された。この映像で総理大臣官邸が事態を把握したことになる。この映像は世界に配信されたものの、発生当日に国内で放送されたのはNNNのみである。 水素爆発でまき散らされた瓦礫等により、負傷者が出るとともに、完成間近だった2号機への注水用ポンプケーブル敷設作業が、振り出しに戻ってしまった。また、爆風によって2号機建屋のブローアウトパネルが脱落、原子炉建屋内部が外気に通じた。
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