障害としての曖昧さ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/16 05:37 UTC 版)
「ADHDに関する論争」の記事における「障害としての曖昧さ」の解説
マイケル・ムーアは、映画シッコにおいて、重篤な疾患を抱えた大勢の国民が治療を受けられずに放置されているなか、あなたは不安症ではないか、注意欠陥障害ではないか、とメディアが国民の不安を煽る現状にも触れている。 日本では1997年11月、朝日新聞が神戸連続児童殺傷事件に関し、ADHDが犯罪に関連するかのような印象を与えたと、精神発達指導教育協会などから謝罪を求められ、紙面で謝罪している。1999年には7月22日付けの『女性セブン』28号に、精神科医の和田秀樹が、学級崩壊とADHDの関連性などに関して述べ、親の愛情不足の影響に言及したため、当事者団体や当事者家族から抗議を受け、愛情不足が原因と言ったのではなく、影響が大きいのだと反論した。和田は又、DSM-IVによる診断では、生物学的な原因以外でも診断がおりる可能性に言及している。2008年に出版した本では、より明確に、これまで発達障害と思われていたが必ずしも生物学的でないものとしてADHDを挙げている。生物学的で先天性であれば、これほどの急な増加の説明がつかず、社会的な要因によるものと考えるほうが自然であり、具体的には、親の育て方が変わったことが、ADHDを増やしている可能性があると説く。 9歳から15歳までの215人を調べた調査では、生後1年間におけるたんぱく質エネルギー低栄養と、15歳までの注意欠陥に、相関関係があることを示している。 ADHDと犯罪の可能性に関しては、確かに行為障害が発現しやすいと言われるが、精神科医のピーター・ブレギンは、ADHD自体は、教室で教師を悩ます行動の全リストに過ぎないと言う。また、精神科医のサイモン・ソボは、ADHDを持つ人の殆どは、楽しいことをしているときは問題なく集中しているため、生物学的脳障害ではないのではないかと論じる。しかし、こういった、ADHDの医学的な実体に異を唱える各見解を、アメリカ精神医学会、アメリカ心理学会、米国医師会、米国小児科学会は拒否している。 ADHDは神経学的なものと言われているが、正確な原因は不明なままであり、様々な原因により症状を引き起こす障害であることはほぼ間違いない。 1990年、アメリカ国立精神衛生研究所(NIMH)のアラン・ザメトキンは、ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンに、運動前野と上前頭前皮質におけるブドウ糖の低代謝と成人の多動を関連づける研究を発表した。3年後、ザメトキンらは、Archives of General Psychiatry誌で、青年に同様の研究を試みたが良い結果を得られなかったことと、最初の研究も良好ではなかったことを発表した。多動な脳におけるブドウ糖の代謝率が、注意力の問題における原因なのか結果なのかもはっきりしないという。 1998年11月、アメリカ国立衛生研究所(NIH)のADHDコンセンサス会議では、カリフォルニア大学小児科学教授であったジェームス・スワンソンが、ADHDの子供の脳が普通の子供の脳といかに異なるかをスライドで示した。そのとき聴衆の中から児童神経科医のフレデリック・ボーマンが、異常もしくは変わった脳と言われている子供の何人が、精神治療薬にさらされているかと聞いた。脳の異常は精神治療薬で引き起こされるのではないかという疑問だ。スワンソンは、異常な脳は全て精神治療薬を服用している子供の脳だと答えた。 2007年11月には、Proceedings of the National Academy of Sciences誌のオンライン版に、NIMHのフィリップ・ショウ、ジュディス・ラポポートらの研究で、ADHDの子供たちは前頭前皮質における脳の発達が他の普通の子供たちより3年遅れていると発表された。 研究が進むなかで、将来的には脳の画像を見て障害の診断をすることがあるかもしれないが、現在の診断は行動観察と家庭や学校などの情報に基づき臨床的に行われている。以前は微細脳障害と呼ばれていたが、脳障害を確定することができないので、状態を表す診断名となっているのである。 日本では、発達障害者支援法により、ADHDを含む発達障害の早期の発見は責務とされているが、乳幼児健康診査での発見方法なども自治体任せであり、必ずしも専門家ではない地域の小児科や保健士が研修を受けながら手探りで行っている。1歳半や3歳では判断が難しく、五歳児健診を取り入れる自治体もある。長野県駒ヶ根市では、五歳児健診を始めてから、教育相談の教師が就学支援委員会の結果を受けて保護者に説明するため、通常級にどうしても行かせたいと言う親が減ったという。その五歳児健診では、発達障害を専門としない医師が、診察と告知という重責を担う。滝医師曰く、一番難しいのが、軽いADHDの子供。検査を受けなさいと言われても、まったく困っていない保護者にとっては寝耳に水で、大半は拒絶する。医者の人格批判をしたり、人権侵害と言うことまであるという。
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