諸藩士の処罰とは? わかりやすく解説

諸藩士の処罰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 00:09 UTC 版)

近江天保一揆」の記事における「諸藩士の処罰」の解説

諸藩士の一揆勢への対応は、積極的な取締り行わず極めて好意的寛容であった ことに対して幕府派遣役人疑惑大い感じた実際三上藩平野大谷が他藩領とは言え野洲川庄屋の顔を知らない訳はないはずであり、水口藩細野亘は一揆指導者一人江戸送りとなった岩根村大庄屋藤谷弥八とは親戚関係にあった平野大谷一揆勢との遣り取りを見る限り一揆勢の目的良く理解し張本隠し首謀者を隠す行為)にも関与している節がる。膳所藩については、過去大久保今助検地から幕府やり方に藩自体大いに不満を感じており、湖水縁・川筋新開場が農民領主とっていかに不条理なのであるかを理解していた。天保14年大阪医師により書かれた『浮世有様』では、『此度役人衆(市野等)の働き振りに、間数多く打ち出し賄賂貪り、6尺に余程足らざる棹を用いて多く打ち出せしと言う、是故に諸侯も、百姓大い憤り此度一揆せしを諸侯の向も密に悦べる程のことなれば』と書かれている三上藩天保13年12月22日1843年1月22日)夕、三上藩郡奉行平野右衛門対し召し状が届き翌日大津代官所において幕府より派遣され関・戸田の尋問を受けることになった26日には『十万日日延べ請文扱った地方役人大谷治之助・一揆当日警備当たった神山二郎川上某も出頭求められ見分役人であった大津信楽代官所手代4名も同席し取調べ受けた事情聴取結果最後に見分役人として信楽代官所手代柴山京都町奉行所柴田以外は全て避難したこと、勘定方市野は逸早く三上山洞窟身を隠し京まで逃げた役人もいたことに、その臆病さにあきれ返った。ただ大谷に対しては『十万日の日延べ請文百姓要求通り書き改め手渡しその間百姓と話をしたにも係わらず名前を知らないと言うこと疑念がある。』、『一時的な方策と言いながら請文渡し、更に持ち帰えらさせた点、平野共々手落ちである。』とされ、天保14年11月29日1844年1月18日京都東町奉行伊那より平野大田は『第一手弱の取計らい、右始末不埒付き押込め仰せ付ける判決出され謹慎刑を言い渡され神山・川上には『急度叱り』と訓戒処分下された水口藩三上藩取調べ後天14年1月23日1843年2月21日大庄屋山村十郎右衛門を以下捕縛された者以外の庄屋次々大津代官所呼び出した幕府から派遣され戸田山村に対して多く藩士大庄屋達まで一揆の鎮圧に当たりながら、領分の者まで大勢騒動起こしているのに一人として召し捕らえなったとは何たる仕打ちか。』との叱責受けた2月7日3月7日)には鎮圧当たった物頭細野亘・郡奉行岡田勘右衛門以下16名の藩士大津呼び出された。一揆当日、『一揆勢の蜂起止めかったばかりか却って炊き出しなどを行い後援して三上決行に行かしめた』として細野以下16名は100日の『閉門』、あるいは『押込み』を後日言い渡された。 膳所藩士 膳所藩一揆当日藩士中村右衛門隊長石部宿170名ほか合計260余名藩士繰り出し十分な鎮圧体制取っていたにも係わらず、『一揆勢の進行抑止せず、炊き出し行い後援し、しかも16日夜に引き上げ一揆一人ひとりへ十万日日延べ請文写し手渡した。』ことについて中村右衛門厳し追及を受け、江戸へ送られ上江十里四方近江国などでの居住禁止される追放』刑に処された。その他23名の藩士に対して押込み』を言い渡された。 見分役人 見分責任者であった勘定方野茂三郎普請役藤井鉄五郎大坪左衛門は、天保13年11月12日1842年12月13日)に帰府命令を受け11月25日12月26日)に大津出立し水口宿一泊し江戸向かった僅かに水口宿大庄屋山村十郎右衛門日記』の天保14年3月21日1843年4月20日)の項に『今日植野兵衛様が来られ、噂によれば当月11日江戸表にて川筋御裁許これあり、即ち御役御免逼塞野茂三郎様、追込 藤井鉄五郎様・大坪左衛門様、京都奉行所柴田上田様も押込み』と処罰の話が記され見分派遣役人処置を知る唯一の資料となっている。

※この「諸藩士の処罰」の解説は、「近江天保一揆」の解説の一部です。
「諸藩士の処罰」を含む「近江天保一揆」の記事については、「近江天保一揆」の概要を参照ください。

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