大久保今助とは? わかりやすく解説

大久保今助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/01 01:54 UTC 版)

 
大久保 今助
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦7年(1757年
死没 天保5年2月4日1834年3月13日
改名 今助、伊麻祐秀房(改名)
主君 徳川斉脩斉昭
氏族 大久保氏
父母 父:文蔵
テンプレートを表示

大久保 今助(おおくぼ いますけ)は、常陸水戸藩郷士奉行

生涯

父親は久慈郡の亀作村(現:茨城県常陸太田市亀作町)の百姓で文蔵という。最初、江戸に出て商人になった。商売が成功して富豪になり、その手腕を藩主の徳川斉脩に認められて藩の勝手方に取り立てられた。水戸藩に多額の献金を行ない、勝手方として財務にも長け斉脩にその手腕を認められて文化14年(1817年)から文政11年(1828年)の間に何回にもわたって加増を受けた。また勘定奉行や勘定吟味役など財務の要職を独占している。

斉脩が亡くなると、藩の附家老である中山信守らと徳川将軍家から恒之丞家斉の20男)を新主に迎えようとしたが、斉脩の弟である斉昭を擁する下士派に敗れた。そして斉昭が藩主になった年の12月に、老齢を理由にして小普請組に入れられ、事実上失脚、天保2年(1831年)8月に隠退し、天保5年(1834年)2月4日に死去した。享年78。

宮川政運の『俗事百工起源』によれば、鰻丼を発明した人物であるとされる。

参考文献

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大久保今助」の関連用語

大久保今助のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大久保今助のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大久保今助 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS