諸藩の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 21:18 UTC 版)
諸藩においても目安箱が採用された例がある。広島藩では幕府よりも早く目安箱が設置され、1645年(正保2年)に浅野光晟が設置し間もなく廃止されたが、1712年(正徳2年)に浅野吉長が再び目安箱を設置している。また、福山藩でも1742年(寛保2年)に目安箱を設置している。 ただし、盛岡藩主の南部利済治世下では悪用されている(三閉伊一揆参照)。 また、出羽国米沢藩において宝暦13年2月(1763年)に江戸家老の竹俣当綱が上杉重定の権臣森平右衛門を暗殺する事件が起こるが、宝暦12年(1762年)と宝暦13年1月の2回に亘り、米沢藩の藩政混乱を訴える幕府への箱訴が行われ、幕閣でも話題となり、宝暦12年分は焼捨(破棄)されたものの、宝暦13年分は焼捨されない可能性があるという酒井忠香からの情報が米沢藩江戸藩邸に入ったことが直接の原因であったとしている。
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