諸藩の留守居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 16:13 UTC 版)
多くの諸藩留守居は物頭級(小藩にあっては番頭級)の有能な家臣から選ばれた。また、一部の藩では家老、用人、側用人が兼務する場合もあった。なお、武鑑上では全ての藩で用人より下座扱いである。 留守居は藩主が江戸藩邸にいない場合に藩邸の守護にあたったほか、藩主が江戸在府中であっても御城使として江戸城中の蘇鉄の間に詰め、幕閣の動静把握、幕府から示される様々な法令の入手や解釈、幕府に提出する上書の作成を行っていた。江戸時代は「礼儀三百威儀三千」ともいわれるほどで、前例に従って落ち度のないことが第一と考えられており、それに資する先例を捜査するために留守居組合にて他藩の留守居と情報交換を行った。また自藩の本家(本藩)・分家(支藩)との連絡・調整に当たるのも留守居の役目であった。 幕府が諸藩の留守居役による暗躍・工作活動を嫌い、江戸城登城を禁止した時期も数次に及ぶが、不便であるためまたすぐに解禁されるなどしていたことは、その微妙な立場を物語っている。また、正式ルートを通じる以前の内証を得るための調整が諸藩留守居役と取次の老中の間でなされ、スムーズな幕藩関係を築く努力がなされた。 留守居の情報交換は、藩の財政を無視して遊郭や料亭などで頻繁に行われたため、財政難に苦しむ各藩の国許や勘定方からは怨嗟の眼差しで見られた。 なお、京都・大坂・長崎に屋敷を持つ諸藩では、それぞれに留守居が置かれることが多かった(京都留守居役など)。
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