荒神山城築城と対毛利戦線とは? わかりやすく解説

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荒神山城築城と対毛利戦線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 04:00 UTC 版)

花房職秀」の記事における「荒神山城築城と対毛利戦線」の解説

元亀元年1570年10月美作国奉公衆苅景継は足利義昭側近の上野信恵から、浦上宗景牽制命じられている。 元亀2、3年頃(1571、1572年頃)、職秀は美作国荒神山城を築城し在城した。近く肥田左馬助高橋四郎兵衛拠る篠山城攻め落とし嵯峨山城も攻め取った次に院庄の城を攻め北方神戸へと追撃古川城攻略した元亀2年1571年4月こととされる院庄合戦において杉山三郎為国討ち取り戦死した難波左衛門尉跡目に関する措置を職秀が宗十郎利長に命じている。苅氏の持つ日詰城の出城である祝山城、枡形城、利元城の3城を次々落城させ、日詰城の相城構え加番籠めた。 次に久田西屋城を落城させ宗十郎大将に兵を籠め伯耆国への連絡路確保した元亀2年1571年6月には吉川元春大山寺救護院を討伐するため伯耆国入った尼子再興軍の亀井幸盛は大山寺支援のため末石城出陣し、宗景の軍6千とともに巻きにする戦略立てた。元春はこの動き察知し、末石城包囲し8月頃亀井幸盛は元春に降伏逃亡し美作国落ち延びた浦上宇喜多勢は備中国北部へも進出し元亀2年1571年3月以前佐井田城攻略していた。宗景は佐井田城普請し、庄氏残党に守らせた。敷名元範を将とする備後勢が到着し戦局好転した毛利勢は備中国北部調略進めた三村元親佐井田城包囲するが、救援現れ浦上宇喜多伊賀久隆中核とする備前美作勢と佐井田城下で9月4日合戦起きた。職秀は三村親成家来山もとと交わし高名挙げた三村勢は敗走し三村親成負傷、庄元資前哨戦あるいはこの合戦討死するなど大損害を被った。 職秀はその後美作国月田城を武略により攻め取った元亀2年1571年11月には小早川隆景による備中国南部での反攻始まり元亀3年1572年)には将軍足利義昭仲裁により大友浦上毛利氏和睦交渉始まった9月には毛利輝元本隊備中国出陣した。そして10月芸備和平結ばれた。この和睦により佐井田城など備中国諸城毛利方へ明け渡された。 天正5年1577年)からは赤松氏浦上氏交戦天正7年1579年)に主君宇喜多直家命令美作後藤勝基三星城攻め、これを滅ぼしたその後宇喜多氏織田信長豊臣秀吉従属する文禄4年1595年)、秀家に対して長船綱直重用することを諫言したことで秀家の怒りを買い殺されそうになるが、秀吉仲介によって一命助けられ徳川家康斡旋もあって、常陸国佐竹義宣預けられた。この出来事慶長4年1599年)の宇喜多氏お家騒動である「宇喜多騒動」の遠因となったとも言われている。 慶長5年1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川家康与して活躍し備中国高松において8220石の所領与えられて、旗本寄合列する。なお、関ヶ原の戦い所領失い慶長11年1606年)に八丈島流罪となった旧主・秀家に対して、職秀は毎年20俵の米を送っていたとされる慶長19年1614年)から翌年にかけての大坂の陣にも子ら参加し老骨鞭打って輿に乗りながら采配を執ったとされるがこの時には加増はなかった。 元和3年1617年2月11日死去享年69墓所は職秀が花房家の菩提寺として建立した岡山県岡山市北区高松ある日蓮宗寺院高松山妙玄寺。職秀の死去により、嫡男の職則が家督所領継いだ。 なお、職秀の次男初め出家し池上本門寺の僧となっていたが家康の命で還俗し慶長4年1599年)には徳川四天王一人である榊原康政養子となって榊原職直名乗った。これは、康政の側室花房氏であり、宇喜多騒動の際に康政が調停役を務めた縁によるものであろう推測されている。また、実父・職秀が死去し実兄の職則が家督所領継いだ際に、職則は8220石の所領の内から1000石を職直に分与したことにより、職直は旗本として独立して取り立てられ、後に長崎奉行などを勤めた

※この「荒神山城築城と対毛利戦線」の解説は、「花房職秀」の解説の一部です。
「荒神山城築城と対毛利戦線」を含む「花房職秀」の記事については、「花房職秀」の概要を参照ください。

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