荒神山の環境保護に尽力した人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/17 01:29 UTC 版)
「荒神山 (滋賀県)」の記事における「荒神山の環境保護に尽力した人物」の解説
明治時代、貧困から生活が成り立たなくなった荒神山の周辺の住民たちは、山の木を競って伐採し、売り払ってしまった。そのために荒神山ははげ山になってしまい、土壌の保水力が著しく低下した山腹では土砂災害が続発するようになった。この事態に危機感を覚えた地元の名士・大橋利左衛門は、村民たちを集めて「山に木を植えよう」と呼びかけ始める。雨の降る日も風の吹き荒れる日も山林を見まわり、赤松を植林してまわった利左衛門の行動はやがて村民の心を動かし、地域ぐるみで植林に協力するようになっていき、そうしてついには山の緑は一応の回復を見た。大橋利左衛門はその後、37歳の若さでこの世を去ったが、荒神山の環境保護に尽力し、緑の山によみがえらせた人物としてその功績は讃えられ、1962年(昭和37年)には宇曽川に架かる天神橋の袂(たもと)に記念碑(石碑)が建立された。
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