紙芝居を取り巻く状況と紙芝居文化の会創立まで
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「紙芝居文化の会」の記事における「紙芝居を取り巻く状況と紙芝居文化の会創立まで」の解説
1930年頃 世界大恐慌下、日本人により手書きの街頭紙芝居として誕生。街頭紙芝居は駄菓子を売るための人集めの道具だった。 1935年 キリスト教紙芝居、幼稚園紙芝居、教材紙芝居などの紙芝居出版が始まる。 1938年 松永健哉らが「日本教育紙芝居協会」を設立。 1941年頃 戦争宣伝のための紙芝居出版が国策としてさかんに行われるようになる。「日本教育画劇株式会社」が設立され、戦争賛美の紙芝居が大量に印刷される。 1943年 出版されるものはすべて戦意高揚のための国策紙芝居となり、年間70万〜80万部も発行された。 1946年頃 敗戦による経済混乱のなか、街頭紙芝居が復活。多くは、戦争による失業者の日銭稼ぎのためであった。 1948年 戦後の文化運動のなかで教育紙芝居出版が始まり、「民主紙芝居人集団(後の教育紙芝居研究会)」創立。 1955年 教育紙芝居研究会は運動・研究・出版と様々な活動を展開したが、資金面でいきづまり継続不能となる。 1957年 教育紙芝居研究会の活動を引き継ぎ、紙芝居の出版社として童心社が創立される。作家による出版紙芝居の流れがつくられる。 1960年頃 公共図書館での出版紙芝居の貸し出しが始まる。テレビの出現と普及により、街頭紙芝居が衰退。 1962年 紙芝居の賞「五山賞」制定される。 1970年頃 国内での絵本の出版が盛んになり、市民活動の中で多数の紙芝居サークルが生まれる。 1983年 紙芝居の独自性を追求し、観客が参加する作品世界を切り拓いた、まついのりこが『おおきく おおきく おおきくなあれ』(童心社)を 刊行。 1991年 ベトナムでの紙芝居講座が始まる。「日本・ベトナム紙芝居交流会」が十年に渡る交流を続ける。 1993年頃 まついのりこ、酒井京子など、紙芝居に熱い思いを寄せる十数人が集まり、2000点近い童心社の既刊の紙芝居を見ていき、すぐれた作品を掘り起こし、紙芝居作品の奥底で光るものが何か、という追求を始める。この人々によって、紙芝居の本質―理論を求めて「紙芝居理論の会」がつくられ、月1回の研究が積み重ねられる。 1998年 初めての紙芝居の理論書『紙芝居・共感のよろこび』(まついのりこ著/童心社刊)が刊行される。 1999年 紙芝居を文化として追求しようとする、日本各地の人々と童心社が主催する「出前紙芝居大学」が始まる。理論から演じ方までを学びあう、新しい形の紙芝居活動を展開していく。 2000年頃 オランダ、イタリア、ラオスなど、ヨーロッパやアジアで紙芝居の交流や講座が開かれ「KAMISHIBAI」への関心が少しずつ世界で広がり始める。 2001年 「出前紙芝居大学」主催者と「紙芝居理論の会」メンバーが発起人となって、「紙芝居文化の会」を創立。紙芝居を日本独自の文化財と位置づけ、文化としての紙芝居を研究し、学び合い、日本と世界に根づかせる運動を続けている。
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