紙芝居の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 22:28 UTC 版)
高度経済成長期に入ると、テレビを始めラジオや漫画などの娯楽の普及につれて紙芝居は人気を失い、紙芝居師の数は激減。荒川でも次々に紙芝居師が廃業していく中、森下は伝統文化を守るため、現役の紙芝居師を貫き続けた。夫人は森下の意志に理解を示し、困窮する家計を内職で支えた。 このような時代において森下は、子供の夢とロマンを残すため、紙芝居児童文化保存会を結成。かつてのように街頭で紙芝居を演じるのではなく、公民館、老人ホーム、日本全国の祭りなどのイベントに自ら出向き、一つの出し物として紙芝居を披露するスタイルへと移行していった。1971年(昭和46年)頃には、東京でただ1人の正統派紙芝居師ともいわれた。親子2代にわたってのファンもおり、「そうした人々がいる限り、紙芝居をやめることはできない」と語っていた。
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