森下正雄
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森下 正雄(もりした まさお、1923年〈大正12年〉10月20日[1] - 2008年〈平成20年〉12月5日[2][3])は、日本の東京都荒川区出身の紙芝居師。紙芝居全盛期である終戦直後から紙芝居の衰退する高度経済成長期、そして21世紀に至るまで生涯現役を貫いて紙芝居を上演し、児童文化保存に貢献した。喉頭癌で声帯除去手術を受けて声を失って以降、手術前の上演の声を録音したカセットテープで紙芝居を演じたことでも知られる。
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