森下貞三とは? わかりやすく解説

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森下貞三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 04:38 UTC 版)

もりした ていぞう
森下 貞三
生誕 1892年8月20日
静岡県湯ヶ島
死没 1988年(96歳没)
国籍 日本
職業 紙芝居師
時代 昭和
団体 日本画劇教育協会
影響を与えたもの 森下貞義森下正雄
子供 森下貞義、森下正雄
家族 森下昌毅(孫)
栄誉 勲六等瑞宝章1981年
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森下 貞三(もりした ていぞう、1892年明治25年〉8月20日[1] - 1988年昭和63年〉[2])は、日本紙芝居師静岡県湯ヶ島出身[1]街頭紙芝居の草分けとされる[3]。長男の森下貞義、三男の森下正雄らも紙芝居師であり、紙芝居一家として知られた[4]

経歴

湯ヶ島で、農家の三男として誕生した[1]。16才で上京[1]指物師としての修業を始めて、25歳のときに小石川に店を出し、家具製造の職についた[1][5]

1927年(昭和2年)以降の昭和金融恐慌の煽りで仕事が激減していたところ、近所に住んでいた紙芝居の貸元「松島家」から紙芝居の舞台の製作の依頼があり[6]、松島家の親方の勧めで同年に紙芝居師となった[7][注 1]。後には松島家の跡を継ぎ、多くの弟子を抱えた[2][9]

生来の話好きであったため、紙芝居師は森下の天職となった[9]。観客である子供たちとの信頼関係を大事にし、病気で紙芝居を見に来られない子供がいれば、その子の家を訪ね、その子のためだけに紙芝居を演じることもあった[1][10]。紙芝居を休んだとき、その理由を子供たちに「風邪をひいた」と言い訳をしたときには、後日に森下が紙芝居を休んだとき、子供たちが連れ立って森下の家まで見舞いに訪れ、目頭を熱くさせた[1]

また、昭和初期にあった紙製の人形で芝居を演じる立絵紙芝居を改良し、後に知られる紙芝居の上演スタイルを作り上げたことから、街頭紙芝居の草分けともいわれた[3]

1932年(昭和7年)には紙芝居の品質向上を図るための団体として「日本画劇教育協会」を設立し、当時の文部政務次官、後に国務大臣文部大臣となる安藤正純を会長に迎えた[2][11]。息子3人と娘婿も跡を継いでおり[9]1952年(昭和27年)には東京都紙芝居コンクールで三男の正雄、翌1953年(昭和28年)の同コンクールでは長男の貞義が特選を獲得したことで、森下家は一躍、紙芝居一家として知られることとなった[4]。次男は戦死したが、戦地で紙芝居を演じ、戦友たちの心の拠り所となっていた[1]

1981年(昭和56年)には、当時の日本に5万人いた紙芝居師の中から、業界初となる勲六等瑞宝章を受章した[2][12]。90歳を過ぎた頃には、街頭で紙芝居を行うことはなくなったものの、学校や老人ホームを訪れて、紙芝居の披露を続けた[7]。95歳を迎える1987年(昭和62年)まで、紙芝居師として活躍した[9][12]

その後も自作の創作紙芝居を携えて、ボランティアで老人ホームの慰問活動を行なっていたが[2][4]、翌1988年(昭和63年)、満96歳で死去した[12][13][注 2]。没後は、娘婿は紙芝居から離れたものの[14]、実子の貞義と正雄が跡を継いだ[4]。息子たちの没後も、孫にあたる森下昌毅(正雄の長男)が3代目として紙芝居を上演している[3]

脚注

注釈

  1. ^ 紙芝居師となったのは、1930年(昭和5年)頃との説もある[8]
  2. ^ 95歳没の説もある[4][8]

出典

  1. ^ a b c d e f g h 八木 1986, pp. 50–51
  2. ^ a b c d e 石川他 1998, p. 579
  3. ^ a b c 井上圭子「TOKYO発 黄金バット三代 紙芝居師一家 50代会社員が襲名へ 闘病の父に約束 ゼロから勉強」『中日新聞中日新聞社、2010年10月14日、朝刊、28面。
  4. ^ a b c d e 西島大美「ひゅーまん探訪 森下貞義・正雄さん兄弟 ガン克服、二人三脚紙芝居」『読売新聞読売新聞社、1992年11月1日、東京朝刊、14面。
  5. ^ 関 2008, p. 85
  6. ^ 関 2008, p. 89
  7. ^ a b 上地 1982, p. 39
  8. ^ a b 「わが街名物 公園の紙芝居 親子二代、語りの職人」『読売新聞』、1990年3月3日、東京朝刊、29面。
  9. ^ a b c d 生涯現役! この人に会いたい! 紙芝居児童文化保存会・名作実演者 森下正雄さん”. 荒川ゆうネット アーカイブ. 荒川区 (2003年). 2013年3月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月9日閲覧。
  10. ^ 関 2008, p. 86
  11. ^ 阪本一郎幻の紙芝居『黄金バット』」『保育論叢』第12号、文教大学女子短期大学部児童科、1977年1月1日、28頁、CRID 10500013380279269122024年1月16日閲覧 
  12. ^ a b c 出井 2004, p. 224
  13. ^ 関 2008, p. 90
  14. ^ 「名流 森下正雄さん 街頭紙芝居あゝ50年 テープで“名調子”復活 10年前、がんで命の“声”を失う 実演のCD-ROMも」『中日新聞』、2000年5月27日、夕刊、9面。

参考文献




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