第4回全世界選手権とは? わかりやすく解説

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第4回全世界選手権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 14:41 UTC 版)

増田章」の記事における「第4回全世界選手権」の解説

1987年昭和62年)は、オープントーナメント全日本空手道選手権大会開催されず、第4回オープントーナメント全世界空手道選手権大会兼務扱いになっていた。 増田表向きライバルはいない」と公言したが、その一方で松井章圭対戦相手情報収集、特に弱点探しの上手さに感心していた。松井合わせ技は、カウンター類似していて、特に相手フェイントもなく普通に構えた後ろ足(奥足)の手正拳突き、奥足からの上中下蹴り大技後ろ回し蹴り後ろ蹴りかかと落としなど)を出してきたときに、小さ攻撃構えたときの前足軸足を刈るように蹴ったり、押すような前蹴り前足と同じ側の手で順突きなど)で相手攻撃自分に届く前に当てるもので、ボクシングカウンターほど、KO意識したものではなくバランスを崩すのを目的とした技である。増田松井使用する下段回し蹴り対策に、蹴り足の膝で相手合わせ下段回し蹴り押さえるようにして蹴る事を身につけていた。さらに前傾気味に体重をかけ、相手倒されないように蹴ることも考え会得していた。松井意識したトレーニング練習は、体の硬い増田上段回し蹴り使い手変え松井得意技であった合わせ下段回し蹴りをも、増田得意技とした。後年増田松井をはじめとした強豪と戦うことで相手良さ吸収していた事が自分をいかに成長させたか、そのような存在こそ『ライバルという事認め、今では彼らに感謝しているという。 同年11月全世界選手権開催され4回戦ジェラルド・ゴルドー対戦ゴルドー身長196センチメートル巨漢オランダではミッシェル・ウェーデルに次ぐ実力者であった全世界選手権での入賞経験はないが、間違いなく上位入賞できる実力持っている増田はみていた。ゴルドーとの対戦延長2回で、増田勝利を得た大変な試合であった。ウェーデル同様ゴルドー突き威力日本人とは比較ならないほど強烈で特に左の突き強かった。しかも懐が深く攻撃当てづらい。ゴルドーはウェーデルと違い若干間合いをとるような戦い方をした。増田相手間合い戦え不利だ考え序盤から積極的に攻めた速攻により本戦決めてしまおう思っていた。早く決着つけたい増田のあせりは、ゴルドーとの戦いを力と力のぶつかり合いともいえるラフファイトにした。ゴルドーには、ウェーデルと増田試合脳裏合った違いない増田は彼が自分の力をかなり警戒していたので、それが自分有利に働いた思っていた。その一方で増田自分無名選手ゴルドー全盛期ヨーロッパで対戦したら、自分勝てたかどうかどうかわからないとも思っていた。選手権大会後、ゴルドー増田敬意抱いたゴルドーは後に極真会館離れキックボクシング選手育成するようになっていたが、教え子連れて来日した時には必ず増田の所に訪問してくれた。増田にとってウェーデル同様、対戦相手自分の所にやってきてくれるのは彼にとって、とてもうれしい事だった。 続く5回戦ではアンゴラ代表のジェフリー・セベクルと対戦した。セベクルは変則的な蹴り使った普通に蹴ってくるかと思うとその蹴り寸前止まりフェイント入りタイミング外して蹴り出していた。セベクルは自分蹴り相手頭部寸前で、自分の手使って押さえていたのだ。そこからタイミング見計らってその手外して蹴ってくるのである。実にユニークな戦法だが、事前に情報収集をしていた増田合わせ下段回し蹴りを使うなど、相手蹴り一発も貰わず、本戦増田勝利した準々決勝では七戸康博延長2回の末、体重試割り共に増田上回っていたので、増田準決勝上がった準決勝では優勝候補一人であったブラジルアデミール・ダ・コスタ破ったアンディ・フグとの対戦アンディそれまであまり効果的な技でないと思われていたかかと落とし革新的に実用化し、破竹の勢いで勝ちあがってきた。前回全世界選手権でウェーデルと激闘経験した事から、アンディ軽く見ていた増田は、その考え大変な後悔生むになった吐露している。本戦ではラッシュ攻撃場外出し勝った思われたが引き分けにされてしまう。テレビ解説をしていた盧山初雄は「今大会はよほどの差がない限り判定引き分けにされてしまう。大山総裁が『ホームタウンデシジョンをなくし、外国人にも平等にする事』と訓示した事が、それまで全日本選手権とは違った判定基準になってしまっている」という状況の為、一本技あり取らない限り対外国人選手との対戦判定で勝つ事が困難になっていた。 他の日本選手でも体重判定試割り上回っていても再度延長戦やらされ負けてしまった橋爪秀彦もいた。延長戦入りアンディ左上回し蹴りヒットさせたが、初日闘い左足肉離れ起こしていたので、効かせ方が甘かったアンディフットワーク使い踵落し下段回し蹴りコンビネーション使いこなしていたが、上段防御甘かった1回目延長ヨーロッパ審判アンディに旗を上げ日本人審判1名は増田上げていたが主審引き分けして、結局延長戦3回行われ軍配アンディ上がった詳細は#逸話の「判定見放され続けた増田」を参照)。盧山指摘どおり、判定基準変わってしまった事、増田自身それまでフットワークで下がる闘い判定不利になっていたがこの時は違っていたと言っている。その後3位決定戦マイケル・トンプソン対戦し下段回し蹴り合わせ一本勝ちをして、3位入賞終えた

※この「第4回全世界選手権」の解説は、「増田章」の解説の一部です。
「第4回全世界選手権」を含む「増田章」の記事については、「増田章」の概要を参照ください。

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