第4回全世界選手権&指導者として
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「アデミール・ダ・コスタ」の記事における「第4回全世界選手権&指導者として」の解説
優勝候補の一人と言われた1987年の第4回オープントーナメント全世界空手道選手権大会では3回戦まで順調に勝ち上がった。4回戦で八巻建志と延長2回の末、体重判定で勝ち、5回戦ではミッシェル・ウェーデルと対戦。こちらも延長2回に及び、かろうじて勝ったが、ふたりとも100kgを越える巨漢。重量級の選手としては大柄なほうとはいえないアデミールが被ったダメージも大きかった。そのため、準々決勝のアンディ・フグには本来の力をだせず、合わせ一本負けをするという不本意な結果に終わり、5位入賞で終え、この選手権大会を最後に選手を退いた。 その後、次の全世界選手権に備え磯部清次と共にフランシスコ・フィリォを育成した。特に蹴り技はアデミールの指導の影響が大きいという。1995年(平成7年)に行われたフィリォの百人組手ではセコンドにつき、「技をちらせ」「間合いをとれ」とアドバイスし続け、フィリォの百人組手達成に陰ながら貢献した。
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