第18回全日本選手権&第4回全世界選手権とは? わかりやすく解説

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第18回全日本選手権&第4回全世界選手権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 04:40 UTC 版)

ミッシェル・ウェーデル」の記事における「第18回全日本選手権&第4回全世界選手権」の解説

ウェーデルは第4回オープントーナメント全世界空手道選手権大会前年である1986年第18回オープントーナメント全日本空手道選手権大会エントリーしてきた。翌年第4回全世界選手権控えており、あえて手の内見せ必要がないのにもかかわらず、ウェーデルは参戦してきたのである過去ブラジルアデミール・ダ・コスタなども第14回全日本選手権エントリーしてきたが、彼の場合はまだ無名であったことと第3回全世界選手権2年前で、武者修行的な意味合いであったに対して、ウェーデルは既にヨーロッパ王者ウィリーよりも強いと言われていた選手である。 日本勢は「ストップ・ザ・ミッシェル」で何とか潰そうと躍起になったが、ウェーデルに3回戦まで全て一本勝ちされてしまう。しかし、ウェーデルは4回戦対戦した小笠原和彦に対して顔面殴打してしまい痛恨反則負けをしてしまった。総裁大山倍達は「故意ではない。」と大目に見ようとしたが、審判長郷田勇三に「そうして一々温情措置をしていたらきりがないルールルールです。」と言われ渋々引き下がった(と、第4回世界大会前の格闘技雑誌インタビュー大山語っている)。参戦した理由をウェーデルは「私は去年1985年)から、既に自分カラテ試合における力が、落ち始めていることに気づいていた。ともかく一刻も早くレベルの高い全日本選手権戦っておきたい思った世界大会予行演習なんて気持ちサラサラなかったよ。マスダ増田章)とは既に戦っているので、単に早いうちにマツイ松井章圭)と戦いたかっただけだ」と述懐する。 1987年昭和62年)の6月開催され第4回ヨーロッパ選手権重量級ぶっちぎり優勝決勝対戦したマイケル・トンプソンが僅か数秒で戦意喪失追い込まれてしまうほどであった。5か月後の第4回全世界選手権ではアデミール・ダ・コスタ並び外国人最強選手の両横綱であった。ウェーデルは1回戦から4試合連続一本勝ち5回戦進出。この連続一本勝ち記録は、大石代悟ウィリー・ウィリアムスと並ぶ堂々のタイ記録である。ここで事実上決勝戦とも言われアデミール・ダ・コスタ対戦本戦延長戦2回と闘いダ・コスタ判定負けした。ウェーデルはこの試合最後に選手権大会から、引退をした。 ウェーデルの一本勝ち獲得する率は高く日本行われた試合でも12試合9勝。この9勝は全て一本勝ちである。

※この「第18回全日本選手権&第4回全世界選手権」の解説は、「ミッシェル・ウェーデル」の解説の一部です。
「第18回全日本選手権&第4回全世界選手権」を含む「ミッシェル・ウェーデル」の記事については、「ミッシェル・ウェーデル」の概要を参照ください。

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