第18回全日本選手権&第4回全世界選手権
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「ミッシェル・ウェーデル」の記事における「第18回全日本選手権&第4回全世界選手権」の解説
ウェーデルは第4回オープントーナメント全世界空手道選手権大会の前年である1986年の第18回オープントーナメント全日本空手道選手権大会にエントリーしてきた。翌年に第4回全世界選手権を控えており、あえて手の内を見せる必要がないのにもかかわらず、ウェーデルは参戦してきたのである。過去、ブラジルのアデミール・ダ・コスタなども第14回全日本選手権にエントリーしてきたが、彼の場合はまだ無名であったことと第3回全世界選手権の2年前で、武者修行的な意味合いであったのに対して、ウェーデルは既にヨーロッパ王者でウィリーよりも強いと言われていた選手である。 日本勢は「ストップ・ザ・ミッシェル」で何とか潰そうと躍起になったが、ウェーデルに3回戦まで全て一本勝ちされてしまう。しかし、ウェーデルは4回戦で対戦した小笠原和彦に対して顔面殴打をしてしまい、痛恨の反則負けをしてしまった。総裁の大山倍達は「故意ではない。」と大目に見ようとしたが、審判長の郷田勇三に「そうして一々温情措置をしていたらきりがない、ルールはルールです。」と言われて渋々引き下がった(と、第4回世界大会前の格闘技雑誌のインタビューで大山は語っている)。参戦した理由をウェーデルは「私は去年(1985年)から、既に自分のカラテの試合における力が、落ち始めていることに気づいていた。ともかく一刻も早くレベルの高い全日本選手権で戦っておきたいと思った。世界大会の予行演習なんて気持ちはサラサラなかったよ。マスダ(増田章)とは既に戦っているので、単に早いうちにマツイ(松井章圭)と戦いたかっただけだ」と述懐する。 1987年(昭和62年)の6月に開催された第4回ヨーロッパ選手権重量級でぶっちぎりの優勝。決勝で対戦したマイケル・トンプソンが僅か数秒で戦意喪失に追い込まれてしまうほどであった。5か月後の第4回全世界選手権ではアデミール・ダ・コスタと並び外国人最強選手の両横綱であった。ウェーデルは1回戦から4試合連続一本勝ちで5回戦に進出。この連続一本勝ち記録は、大石代悟、ウィリー・ウィリアムスと並ぶ堂々のタイ記録である。ここで事実上の決勝戦とも言われたアデミール・ダ・コスタと対戦。本戦、延長戦2回と闘い、ダ・コスタに判定負けした。ウェーデルはこの試合を最後に選手権大会から、引退をした。 ウェーデルの一本勝ちを獲得する率は高く、日本で行われた試合でも12試合9勝。この9勝は全て一本勝ちである。
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