第一合戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 10:18 UTC 版)
「コロンバンガラ島沖海戦」の記事における「第一合戦」の解説
23時8分、日本側は敵艦隊を発見し、神通は探照灯を照射。23時13分に魚雷戦、砲戦を開始した。一方アメリカ側も駆逐艦およびリアンダーが雷撃を行い、軽巡洋艦3隻はレーダー射撃で神通に砲撃を集中した。雪風の水雷科下士官によれば「(日本の)水雷戦隊は水柱で出来たサボテンの林の中を突進しているような状態で、探照灯をつけて集中砲撃を受ける神通が観測窓から見えた」という。神通では艦橋への被弾で第二水雷戦隊司令部が全滅し、艦長も戦死。さらに艦尾への被弾で舵が破壊され、列外に飛び出る形となった。二度目の雷撃(7本発射)後、缶室に連続して被弾し、神通は航行不能となった。 神通への砲撃集中は、他の駆逐艦への砲弾の洗礼がほぼなかったことを意味する。当時、雪風の水雷長だった斎藤一好元大尉は著書で「雪風の後甲板に巡洋艦群からの不発主砲弾が命中した」と証言しているが、雪風の菅間艦長によれば命中弾はなく、後甲板に敵弾の破片が散っていたとある。斎藤元大尉も雪風乗員らが纏めた手記では「弾着は後方に逸れて無事」、「砲弾の破片が後甲板に残っていた」と同じ証言をしている。海上に投げ出された神通の生存者たちは、続いてアメリカ艦隊の砲撃が雪風に集中し、砲弾が雪風の艦尾すれすれに幾つも落下するのを目撃したが、「雪風には幸運の女神が鎮座ましましていると、艦隊の誰もが信じていたから」と安心して見ていたと言う。浜風、清波、夕暮は距離6,000メートルで、雪風は距離4,800メートルで右魚雷戦、魚雷を発射する。魚雷31本を発射(雪風は故障で7本)後、二水戦部隊は北方および西方に針路をとって魚雷の次発装填に取り掛かる。しかし旧式駆逐艦の三日月のみはそのまま戦場から離脱していった。発射から約8分後の23時22分、リアンダーの右舷に魚雷1本が命中する。閃光防止火薬の黒煙に包まれて立ち往生した刹那、もう1本の魚雷が左舷側ボイラー室に命中するも、これは不発であった。それでもリアンダーは浸水のため戦闘不能となり、前衛の駆逐艦から護衛役に回されたラドフォードとジェンキンスに付き添われてツラギ島に下がっていった。リアンダーはツラギ島、オークランド、ボストンで修理を受けたが、二度と戦場に戻る事はなかった。第36.1任務群は駆逐艦ニコラス、オバノン、テイラーを二水戦の駆逐艦の追撃に向かわせた。この時、ニコラス艦橋で指揮を執る前衛駆逐隊司令官のフランシス・X・マキナニー大佐は「敵と間違えて物騒なプレゼントを贈らんで下さいよ」と同士討ちを茶化した冗談を言い、これに対し後衛駆逐隊司令官のトーマス・J・ライアン大佐、或いはエインズワース少将が「心配するな。早くbastard(クソ野郎)どもを叩きのめしてこい。武運を祈る」と答えるほど景気が良かったが、二水戦部隊は、この夜、付近の海域に発生していたスコールを利用して敵の追跡を振り切った。 前衛のアメリカ駆逐艦の何隻かは炎上する神通に対して魚雷を発射。神通の二番煙突右舷後方に魚雷が命中。さらに23時48分にも魚雷が命中し、神通は大爆発を起こし二つに折れて沈没、乗員のほとんどが死亡した。神通は後に戦史研究家サミュエル・E・モリソンから「神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である」と賞賛された。第36.1任務群の巡洋艦群は神通撃沈のために、ホノルルが1,110発、リアンダーが160発、セントルイスが1,360発の6インチ砲弾を消費した。
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