第一可汗国とは? わかりやすく解説

第一可汗国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 10:05 UTC 版)

東突厥」の記事における「第一可汗国」の解説

開皇2年582年)冬、突厥は隋の征討を受け、大可汗沙鉢略可汗在位581年 - 587年)は小可汗阿波可汗・貪汗可汗らを率いて迎撃するが、敗走し飢え疫病悩まされあえなく撤退した。この時、沙鉢略可汗阿波可汗気性が荒いのを危惧し先に阿波可汗領地向かいその部落襲撃し阿波可汗の母を殺した。これにより阿波可汗還るところがなくなり、西の達頭可汗(タルドゥシュ・カガン)のもとへ亡命した。このことを聞いた達頭可汗阿波可汗10万の兵をつけて沙鉢略可汗攻撃させた。このほかにも貪汗可汗沙鉢略可汗従弟の地勤察などが沙鉢略可汗から離反し阿波可汗に附いた。これによって阿波可汗突厥から分かれて西突厥建国し、西域諸国従えた。 こうして東西分かれた突厥互いに攻撃し合ったが、都藍可汗在位587年 - 599年)の時代になってようやく隋の文帝仲裁両者和解することとなった。しかし、開皇17年597年)、沙鉢略可汗の子である染干(センガン)は突利可汗(テリス・カガン)と号して勝手に隋と関係をもったことから、大可汗である都藍可汗激怒し、隋と国交断絶し、たびたび辺境侵すようになった開皇19年599年)、隋は漢王の楊諒元帥として都藍可汗を撃たせた。都藍可汗達頭可汗手を組んで突利可汗攻撃し、その兄弟子姪を殺した突利可汗長孫晟と隋に逃げ込んだ6月高熲楊素達頭可汗撃ち、これを大破した文帝突利可汗拝して啓民可汗在位599年 - 609年)とし、義成公主を娶らせた。なおも都藍可汗啓民可汗攻撃し、隋の辺境侵すので、越国楊素行軍総管の韓僧寿・太平史万歳大将軍の姚辯の軍勢都藍可汗攻撃したこの年12月都藍可汗部下殺されると、達頭可汗は歩迦可汗となって啓民可汗対立した。しかし、隋と組んだ啓民可汗の方が常に優位となった仁寿元年601年)、それまで啓民可汗付属していた鉄勒の斛薛(こくせつ)部などの諸部が叛いたので、文帝は詔で楊素雲州道行元帥とし、啓民可汗率いて北征させた。一方、歩迦可汗はふたたび啓民可汗攻めた敗北し吐谷渾奔走した。これにより啓民可汗東突厥全土掌握することとなり、以降隋との関係良好であった。 しかし、子の始畢可汗在位609年 - 619年)の代になると、東突厥は隋の衰え乗じて反旗を翻した大業11年615年8月始畢可汗数十騎馬軍団率いて隋に入寇し、煬帝雁門にて包囲した煬帝は詔によって諸郡の兵を出動させ、東突厥軍を撤退させた。これ以降東突厥は隋の北辺荒らすようになり、二度と隋に朝貢することはなかった。また、隋末の動乱において、薛挙・竇建徳王世充劉武周梁師都李軌高開道などの反抗者は皆東突厥に称臣し、始畢可汗によって称号受けた武徳元年618年)、東突厥支援もあって中国で唐が建国すると、始畢可汗骨咄禄特勤(クトゥルク・テギン)を遣わして入朝させた。高祖太極殿で宴を催した翌年619年2月始畢可汗賊軍梁師都とともに唐への侵入略奪謀ったが、始畢可汗亡くなったため取りやめとなった始畢可汗時代では小可汗の姿はほとんど無く、大可汗に次ぐ地位は設(シャドとなっていた。シャド権力は小可汗より弱いため、始畢可汗が大可汗への権力集中はかったものと思われる。しかし、それでも中央集権国家とは言い難く、他部族部族長は頡利発(イルテベル:Iltäbär)や俟斤(イルキン:Irkin)といった称号をおびて、ある程度地位保っていた。そのため、中央からは吐屯(トゥドゥン:Tudun)という官を派遣して諸部族監視すると共に税を徴収していた。 中国混乱乗じ比較優位に立っていた東突厥であったが、頡利可汗在位620年 - 630年)の代になり、内部分裂鉄勒諸部の反乱天変地異などによって東突厥は唐に降伏することとなった630年3月)。

※この「第一可汗国」の解説は、「東突厥」の解説の一部です。
「第一可汗国」を含む「東突厥」の記事については、「東突厥」の概要を参照ください。

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