隋との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/04 05:35 UTC 版)
589年、隋が陳を滅ぼして中国を統一した。601年、文帝が国内に仏塔を建てるよう命じ、交州もその対象となった。この時に建造され、後に発掘された銘文「舎利塔銘」には、大隋仁寿元年(601年)10月15日、皇帝によって交州龍編県の禅衆寺に舎利が奉られ、仏塔が建てられたという内容が記されている。このことから、当時全李朝を支配していた李仏子は隋に従属していたものと考えられる。
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