竹富町ダイビング組合の経過報告書
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「朝日新聞珊瑚記事捏造事件」の記事における「竹富町ダイビング組合の経過報告書」の解説
1989年(平成元年)5月15日に公表された、竹富町ダイビング組合による事件の経過報告書は以下の通りである。 アザミサンゴ落書事件経過報告書 2年前に、西表島の崎山のアザミサンゴに落書きされたことがあった。これは後からの調査によると、現地のダイビングサービスを使わないダイバーが、自分たちだけで地元の船を傭船して潜り、傷を付けていたことがほぼ間違いないことが判った。 朝日新聞東京本社写真部の本田カメラマンは、かつて自らこの時のアザミサンゴの傷を見ており、ダイバーのモラルに警鐘を鳴らしたいと考えて、1989年4月10日に朝日新聞西部本社の村野記者と2人で、西表島に来た。 4月11日、午前中にダイビングチーム「うなりざき」の下田(一司氏)のガイドで、アザミサンゴに潜り、3名で、傷を捜すために丹念に調べたにもかかわらず、作為的な傷らしい傷は見つけ出すことが出来なかった。ただ、今回問題になっているアザミサンゴとは別の、少し離れたところにある小さいアザミサンゴには「Y」らしき文字が確認された。 この潜水の後、本田カメラマンは、「これじゃ写真にならない」と下田に話しており、傷が残っているかも知れないと思ってガイドした下田は、自分の記憶違いを詫びた。(中略)4月11日の午後、下田は、なにかしらの傷跡をなぞり、写真を撮りたいという彼らをもういちどアザミサンゴのポイントまで連れて行く。 このとき下田は、サンゴのポリプは軽く触れるだけでも一時的に白くなるので、その程度のことだろうと思っていた。(中略)下田は、アザミサンゴまで一緒に連れていったが、午前中にも一度一緒に潜っているので、先にボートに戻っていた。 潜水終了後、特に新たな傷の発見があったと言う話は無かった。 4月12日午前。この日は、ヨナラ水道に行く予定であったが、本田カメラマンらが急遽、もう一度アザミサンゴに潜りたいと言うので、再び二人だけで潜り、下田は船上でワッチをしていた。この潜水終了後も、新たな傷の発見及びそれを撮影したことについて、話はなかった。 このとき、ユースダイビングの関(暢策氏)が、ダイバーを連れて潜っており、撮影中の本田、村野両氏を目撃している。そして撮影直後のアザミサンゴに近づくと、問題の「K・Y」の文字と削られたばかりの白いサンゴの破片が落ちていたことも確認している。 そしてこの12日の午前のダイビングを最後に本田、村野両氏は西表島をたった。2日間で計3回のダイビングをしたのである。 4月20日に矢野(維幾氏)が、21日に笠井(雅夫氏)がそれぞれアザミサンゴの傷を確認。と同時に二人のもとに東京の知人から、朝日新聞の記事についてつぎつぎと電話で連絡が入る。 4月26日、竹富町ダイビング組合として、事態の真相究明に動きだす。 ボートを使わなければ潜ることの出来ないポイントなので、4月11日と12日の両日にこのポイントに行くことの出来る各サービスの動向を調べた。というのも、11日の午前中に、傷を捜す目的で潜ったにもかかわらず、落書が見つからなかったからである。 (中略=十四あるダイビングサービスの両日の行動を記録)以上のような状況から、アザミサンゴの「K・Y」という文字は、朝日新聞社の本田、村野両氏による自作自演である疑いが非常に濃厚になったため、4月27日夕方、下田が東京本社の本田カメラマンに問い合わせの電話をするが、本人に笑って否定された。 同日夜、笠井がもう一度電話をしたが丁重に尋ねたにもかかわらず、窓口の人間が「朝日にかぎって絶対そんなことはない」と非常に乱暴な対応をした。 更にその後、そもそも最初に朝日新聞社の2人を下田に紹介した東海大学西表分室職員の河野氏が矢野からの要請を受けて、本田カメラマンに連絡を取ると、「自分がやりました。今すぐにでも西表に行って、あやまりたい」という内容のことを告白した。 4月28日夜、笠井が本田カメラマンの告白内容を確認するために、東京本社にもう一度電話を入れたところ、写真部次長の福永氏の知るところになり、チケットの取れるゴールデンウィーク明けに事情を確かめるためにも、来島するという事になった。 5月7日、福永氏一人で来島。竹富町ダイビング組合の代表として、下田、矢野、笠井が状況を説明する。福永氏は、本田カメラマンからの報告として、傷跡に泥が被っていたので、その泥のようなものを手で拭って、指でなぞったと聞いていた。 竹富町ダイビング組合としては、その反証として、 11日の午前中に、下田を含めて3人が傷を捜す目的で潜水したのにもかかわらず、それらしき形跡も発見できなかった。 「K・Y」という文字は、アザミサンゴのもっとも目立つところにあり、しかもポリプの一番きれいなところにつけられているので、どんなに考えてみても傷らしき物があれば見逃すはずが無いこと。 このポイントは泥などなく、潮通しもよく、さらに傷自体が垂直に近い角度の場所に付けられているので、泥のようなものが被ると言うことは、まず考えられない。 傷自体が非常に大きく、かつ深いので、(文字のひとつの大きさが、約15cm四方。線の幅が2cmから3cm。深さは完全にポリプを削り落として下の石灰質まで達していて約2cmはある)ゴム手袋をした指で擦った程度でつくものではないこと。 等を説明したが、当事者がいないままでの話し合いには限界があるので、明くる日の8日に、本田、村野両氏に西表島に来てもらうことと、4月11日、12日の両日に撮影したフィルムを持ってきてもらうことをお願いした。 5月8日、(中略)朝日新聞社からは福永氏と本田カメラマンの2名、竹富町ダイビング組合からは昨日と同じく、下田、矢野、笠井の3名で状況の確認をすることになった。本田カメラマンは「じくじたる思いです」「今思えばどうしてなのかわからない」と発言しているにもかかわらず、最後まで「うっすらと自分には文字と見えた傷跡をゴム手袋をした指で擦っただけである」と主張したままであった。 竹富町ダイビング組合からの、 指でアザミサンゴのポリプを削り落として、下の石灰質まで傷つけることは不可能である。 という主張と、 指でなぞる前に、元にあったという文字らしき傷を、どうしてベテランカメラマンが撮影しなかったのか? という疑問には、ついに答えてもらえずじまいであった。 そしてさらに、新聞記事の内容と本田カメラマンも認めている状況と照らし合わせてみると、事実とは異なり、明らかに作為的な表現内容の文章がいくつか見受けられるのであった。 それは、「K・Yのイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った」や「よく見るとサンゴは水中ナイフの傷やら、空気ボンベがぶつかった跡やらで、もはや満身傷だらけ」という表現である。 一番最初のダイビングでは、本田カメラマンも認めているとおり、下田を含めて3名で丹念に傷を捜したが、それらしき傷はなかったのである。 にもかかわらず、こういった表現が用いられていること自体、作為的であるということが、ありありと伺えるのではないだろうか。(中略) そもそも、竹富町ダイビング組合が発足した理由の一つとして、「ダイビングポイント及びその周辺の海洋観光資源の保護」がある。(組合規約、第2章の4条の4)アザミサンゴにも乗らないように、あるいはフィンやタンクで傷つけないようにとブリーフィングをしてからガイドをしてきた。新聞記事の内容とは正反対に、訪れる一般ダイバーのマナーも良く、それに応えてくれていた。 そのかいあって、かつてあった傷跡も再生しきれいになっていた矢先の出来事であっただけに、朝日新聞社の自らの手で作り上げた事実と異なる報道に対して、非常に憤りを覚える次第である。 — 1989年5月15日 竹富町ダイビング組合
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