竹富町ダイビング組合の経過報告書とは? わかりやすく解説

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竹富町ダイビング組合の経過報告書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:07 UTC 版)

朝日新聞珊瑚記事捏造事件」の記事における「竹富町ダイビング組合の経過報告書」の解説

1989年平成元年5月15日公表された、竹富町ダイビング組合による事件の経過報告書以下の通りである。 アザミサンゴ落書事件経過報告書 2年前に西表島崎山のアザミサンゴに落書きされたことがあった。これは後からの調査によると、現地ダイビングサービス使わないダイバーが、自分たちだけで地元の船を傭船して潜り、傷を付けていたことがほぼ間違いないことが判った朝日新聞東京本社写真部本田カメラマンは、かつて自らこの時のアザミサンゴの傷を見ており、ダイバーモラル警鐘鳴らしたい考えて1989年4月10日朝日新聞西部本社村野記者2人で、西表島に来た。 4月11日午前中にダイビングチーム「うなりざき」の下田(一司氏)のガイドで、アザミサンゴに潜り、3名で、傷を捜すために丹念に調べたにもかかわらず作為的な傷らしい傷は見つけ出すことが出来なかった。ただ、今回問題になっているアザミサンゴとは別の、少し離れたところにある小さいアザミサンゴには「Y」らしき文字確認された。 この潜水の後、本田カメラマンは、「これじゃ写真ならない」と下田話しており、傷が残っているかも知れない思ってガイドした下田は、自分記憶違い詫びた。(中略4月11日午後下田は、なにかしら傷跡をなぞり、写真撮りたいという彼らをもういちどアザミサンゴのポイントまで連れて行く。 このとき下田は、サンゴポリプ軽く触れるだけでも一時的に白くなるので、その程度のことだろうと思っていた。(中略下田は、アザミサンゴまで一緒に連れていったが、午前中に一度一緒に潜っているので、先にボート戻っていた。 潜水終了後、特に新たな傷の発見があったと言う話は無かった4月12日午前。この日は、ヨナラ水道に行く予定であったが、本田カメラマンらが急遽もう一度アザミサンゴに潜りたいと言うので、再び二人だけ潜り下田船上ワッチをしていた。この潜水終了後も、新たな傷の発見及びそれを撮影したことについて、話はなかった。 このとき、ユースダイビングの関(暢策氏)が、ダイバー連れて潜っており、撮影中の本田村野両氏目撃している。そして撮影直後のアザミサンゴに近づくと、問題の「K・Y」の文字削られたばかりの白いサンゴ破片落ちていたことも確認している。 そしてこの12日午前ダイビング最後に本田村野両氏西表島をたった。2日間で計3回ダイビングをしたのである4月20日矢野(維幾氏)が、21日笠井(雅夫氏)がそれぞれアザミサンゴの傷を確認。と同時に二人のもとに東京知人から、朝日新聞記事についてつぎつぎと電話連絡が入る。 4月26日竹富町ダイビング組合として、事態真相究明動きだす。 ボートを使わなければ潜ることの出来ないポイントなので、4月11日12日両日にこのポイントに行くことの出来る各サービス動向調べたというのも11日午前中に、傷を捜す目的潜ったにもかかわらず落書が見つからなかったからである。 (中略十四あるダイビングサービス両日行動記録)以上のような状況から、アザミサンゴの「K・Y」という文字は、朝日新聞社本田村野両氏による自作自演である疑いが非常に濃厚になったため、4月27日夕方下田東京本社本田カメラマン問い合わせ電話をするが、本人笑って否定された。 同日夜、笠井もう一度電話をしたが丁重に尋ねたにもかかわらず窓口人間が「朝日かぎって絶対そんなことはない」と非常に乱暴な対応をした。 更にその後そもそも最初に朝日新聞社2人下田紹介した東海大学西表分室職員河野氏矢野からの要請受けて本田カメラマン連絡を取ると、「自分やりました。今すぐにでも西表行ってあやまりたい」という内容のことを告白した4月28日夜、笠井本田カメラマン告白内容確認するために、東京本社もう一度電話入れたところ、写真部次長福永氏の知るところになり、チケット取れゴールデンウィーク明け事情確かめるためにも、来島するという事になった5月7日福永氏一人来島竹富町ダイビング組合代表として下田矢野笠井状況説明する福永氏は、本田カメラマンからの報告として、傷跡に泥が被っていたので、その泥のようなものを手で拭って、指でなぞった聞いていた。 竹富町ダイビング組合としては、その反証として、 11日午前中に下田含めて3人が傷を捜す目的潜水したのにもかかわらず、それらしき形跡発見できなかった。 「K・Y」という文字は、アザミサンゴのもっとも目立つところにあり、しかもポリプの一番きれいなところにつけられているので、どんなに考えてみても傷らしき物があれば見逃すはずが無いこと。 このポイントは泥などなく、潮通しもよく、さらに傷自体垂直に近い角度の場所に付けられているので、泥のようなものが被ると言うことは、まず考えられない。 傷自体が非常に大きく、かつ深いので、(文字のひとつの大きさが、約15cm四方。線の幅が2cmから3cm深さは完全にポリプ削り落として下の石灰質まで達していて約2cmはある)ゴム手袋をした指で擦った程度でつくものではないこと。 等を説明したが、当事者がいないままで話し合いには限界があるので、明くる日8日に、本田村野両氏西表島来てもらうことと、4月11日12日両日撮影したフィルム持ってきてもらうことをお願いした。 5月8日、(中略朝日新聞社からは福永氏本田カメラマンの2名、竹富町ダイビング組合からは昨日同じく下田矢野笠井の3名で状況の確認をすることになった本田カメラマンは「じくじたる思いです」「今思えばどうしてなのかわからない」と発言しているにもかかわらず最後まで「うっすら自分は文字見えた傷跡ゴム手袋をした指で擦っただけである」と主張したままであった竹富町ダイビング組合からの、 指でアザミサンゴのポリプ削り落として、下の石灰質まで傷つけることは不可能である。 という主張と、 指でなぞる前に元にあったという文字らしき傷を、どうしてベテランカメラマンが撮影しなかったのか? という疑問には、ついに答えてもらえずじまいであった。 そしてさらに、新聞記事内容本田カメラマン認めている状況照らし合わせてみると、事実とは異なり明らかに作為的表現内容文章いくつか見受けられるであった。 それは、「K・Yイニシャル見つけたとき、しばし言葉失った」や「よく見るとサンゴ水中ナイフの傷やら、空気ボンベぶつかった跡やらで、もはや満身傷だらけ」という表現である。 一番最初ダイビングでは、本田カメラマン認めているとおり、下田含めて3名で丹念に傷を捜したが、それらしき傷はなかったのである。 にもかかわらず、こういった表現用いられていること自体作為的であるということが、ありありと伺えるのではないだろうか。(中略そもそも竹富町ダイビング組合発足した理由一つとして、「ダイビングポイント及びその周辺海洋観光資源保護」がある。(組合規約第2章の4条の4)アザミサンゴにも乗らないように、あるいはフィンタンクで傷つけないようにとブリーフィングをしてからガイドをしてきた。新聞記事内容とは正反対に訪れ一般ダイバーマナー良く、それに応えてくれていた。 そのかいあって、かつてあった傷跡再生しきれいになっていた矢先出来事であっただけに、朝日新聞社の自らの手作り上げた事実異な報道に対して、非常に憤り覚え次第である。 — 1989年5月15日 竹富町ダイビング組合

※この「竹富町ダイビング組合の経過報告書」の解説は、「朝日新聞珊瑚記事捏造事件」の解説の一部です。
「竹富町ダイビング組合の経過報告書」を含む「朝日新聞珊瑚記事捏造事件」の記事については、「朝日新聞珊瑚記事捏造事件」の概要を参照ください。

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