竹富村の発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 07:58 UTC 版)
こうして1914年(大正3年)4月1日に竹富村が発足し、琉球王国時代に蔵元が置かれていた竹富島に村役場が置かれた。しかし、石垣島及び与那国島を除く多数の島々を管轄するため、運輸・交通の便が必要であることは八重山村の頃と大きな変わりはなく、1925年(大正14年)に村外の石垣村に村役場出張所が設置された。そして、石垣出張所設置から13年後の1938年(昭和13年)には、村役場自体が竹富島から石垣町字登野城へ移転した。八重山村から竹富村が分村されてから25年目のことであった。1945年(昭和20年)には沖縄戦の激化に伴い一時的に仮役場を村内の小浜島へ設置しているが、第二次世界大戦の終結とともに石垣島へ戻った。竹富村は1948年(昭和23年)7月2日に町制を施行し竹富町となった。1962年(昭和37年)4月25日には、石垣市大川101番地(現在の八重山郵便局駐車場)に鉄筋コンクリート3階建の庁舎が落成。1972年(昭和47年)5月15日には、本土復帰に伴い竹富町役所から竹富町役場に改称している その後、1977年(昭和52年)9月1日には、1969年(昭和44年)に建てられた平屋のボウリング場を2階建てに改築した庁舎に移転している。この庁舎は、石垣島への役場移転後としては3代目となる。
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