秀次の罪状とは? わかりやすく解説

秀次の罪状

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 17:23 UTC 版)

豊臣秀次」の記事における「秀次の罪状」の解説

そもそも本当に謀反起こしたであれば切腹許されず、斬首や磔などもっと重い刑罰科されることが常識であった。よって秀次は謀反によって死を賜ったわけではない解釈するのは自然で、宮本義己1987年から翌年にかけて『国史学』と『國學院雑誌上で前述の『御湯殿上日記7月16日記述「御腹切らせられ候よし申。むしち(無実)ゆえかくの事候由申すなり」を根拠にして、謀反では無罪になったから切腹になったのであり、謀反疑い晴れなければになったではないか主張した。この解釈小和田哲男は(2002年頃)賛同したが、その後宮本本人自説文法解釈上の誤り認めて、むしち(無実古語で「誠意がない」の意)、すなわち不誠実な対応を咎められた故の自刃であったという新説2010年提起している。なお宮本は秀次失脚原因として、後陽成天皇の病の際に、その主治医をしていた曲直瀬玄朔自宅よびよせ一件が、天皇診脈怠ることになり、秀次には秦宗巴という侍医がすでに存在していただけ関白地位乱用問われる越権行為判断され失脚切腹つながったではないか指摘している。これがいわゆる天脈拝診怠業事件である。 いずれにしても御湯殿上日記』と伊達家文書にある『太閤御諚覚』は、“謀反”に言及する数少ない一次史料であるが、『太閤御諚覚』に「今度次様謀反之刻…」という記述があるものの、その続きは「…政宗事も一味之由種々雖達上聞候」で、その後内容で秀次の謀反騒動における伊達政宗弁明聞いてそれが誤解であったとしているのであり、前者謀反沙汰があったが無罪となったと書いているのであるから、謀反が“あった”と書いている史料はほぼ皆無ということになる。『太閤さま軍記のうち』ですら列挙される罪状のなかに謀反文字はなく、忘恩無慈悲悪業三点責められに過ぎない。つまり謀反企て存在せず嫌疑晴れたにもかかわらず切腹させられということのである断罪した側がどのように事件説明したというと、『吉川家文書』の中に7月10日付で秀吉奉行衆それぞれ吉川広家送った2通の手紙が残っているが、この中で高野山に秀次が送られ理由を「相届かざる子細(不相届子細)」や「不慮之御覚悟」があったとするのみで、具体的な内容明記されず、口実すら記さない、言うのは憚られるという状態であった小和田哲男は、「不相届子細」は秀吉が「秀次は自分思い通りにならなくなってきた」と考えていたことであるとし、斎木一馬論文思い起こして謀反などはなく、これは専制政治起し悲劇で、独裁者秀吉には秀次を粛清するのに理由など必要としなかったことを示唆する宣教師ルイス・フロイスは、1592年11月1日付の書簡で、すでに秀吉と秀次の不和から「何事か起こるべしと予想」していたが、『日本史』の第三十八章では、秀次は「(老関白から)多大な妄想空中楼閣(と思える書状受理したが、ほとんど意に介することなくかねてより賢明であったから、すでに得ているものを、そのように不確実疑わしいものと交換しようとは思わなかった。彼は幾つか皮肉を交えた言葉口外したものの、叔父(老関白)との折り合いを保つために、胸襟を開くともなく自制していた」と書き老いて誇大妄想陥った秀吉と、賢明思慮深い次の人物像とを対比して描き出したフロイスは「この若者(孫七郎殿)は叔父秀吉)とは全く異なって」いたと評していて(後述する悪行はあったとするものの)暴君は秀次ではなくて秀吉そのひとであったという立場とっている。 一方で39名もの眷族皆殺しとなったのであるから、谷口克広はやはり罪状秀吉対す謀反であったのは確かであるという。それでも谷口謀反そのものはなかったと否定し溺愛説を取っているが、秀次が切腹したにもかかわらず眷族にまで罰が及ぶというのは確かにちぐはぐであり、依然として謎は残る。フロイスは、これは太閤が「残酷絶頂至り」「その憎悪甚だ強く、その意思悪魔如く関白に係有る一切のものを根絶」しようと決心したからであるとし、秀吉狂気の表れとして説明する他方矢部健太郎は、別の観点新説発表して無罪である秀次が腹を切ったのは、命令によってではなく潔白訴えた秀次自らの決断であったとし、「秀吉は秀次を高野山追放したけだったが、意図反し秀次が自ら腹を切った」と主張した。秀次が腹を切った青巌寺は、大政所菩提寺として秀吉寄進した寺院であり、神聖な所を汚されたと思った秀吉逆に激怒して、秀次の妻子を皆殺し及んだ説明する矢部は、太閤記の『秀次に謀反動きがあった』という記述も、「事態収拾のために秀吉三成らが作り上げた後付けの公式見解だったのではないか」と推測している。

※この「秀次の罪状」の解説は、「豊臣秀次」の解説の一部です。
「秀次の罪状」を含む「豊臣秀次」の記事については、「豊臣秀次」の概要を参照ください。

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