秀次居館とは? わかりやすく解説

秀次居館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 09:59 UTC 版)

八幡山城」の記事における「秀次居館」の解説

八幡山城特徴として山城部分とは別に築かれ南山麓の居館部分である。谷地形の中央部分標高約130mの地点より雛壇状に曲輪配されており、最上部に位置するのが秀次居館跡で、巨大な枡形食い違い虎口があり、その西側には二段東側には四段高石垣構えている。秀次居館跡の石垣も隅部分算木積み積まれており、直接的に傾斜する。この部分築石部分的ではあるが、鏡石積み八幡山城石垣石材の中で、非常に大きな石が使われており、権威象徴的に使用されている。居館曲輪平坦地は、東西300m×南北100m余り大平坦地となっており、山斜面切り土盛り土から造成されていることが発掘調査から判明した下部家臣屋敷曲輪誰が居を構えていたかは史料残っていないため判明しておらず、また近世改変をうけている部分もある。居館曲輪には大型礎石建物跡と考えられる礎石列、それに伴う溝、建物葺かれていた金箔瓦出土しており、柱間が約2mになるもので、ここには書院造御殿建っていたと推定されている。また居館には一直線伸びる大手道があり、安土城の2倍に達する約270mの距離がある。 山城部分居館部分は共に、総石垣作り礎石立ち建物瓦葺き建物など近世的な構造持っている。しかし縄張り構造石垣技法から山城の方がやや新しいとの指摘がある。「「雉城」状の突出部や矢穴石垣は、天正期の他の織豊系城郭見られず、文禄・慶長の役倭城その後国内城郭に多く見られる手法である。このことから山城部分京極段階改修され可能性考えられる」としており、山城部分倭城城郭の特徴類似点があり、京極高次改修考えられるとしている。

※この「秀次居館」の解説は、「八幡山城」の解説の一部です。
「秀次居館」を含む「八幡山城」の記事については、「八幡山城」の概要を参照ください。

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