秀次付き家老とは? わかりやすく解説

秀次付き家老

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 13:39 UTC 版)

三好吉房」の記事における「秀次付き家老」の解説

天正10年1582年6月8日中国大返し姫路帰った秀吉は、どちらも親族である三好武蔵守吉房)と小出播磨守(秀政)の2人留守居命じ、もし一戦敗れた場合は、秀吉の母も妻も一族尽く処分し家中に火を放て指示していた。 天正18年1590年)、秀次が改易された織田信雄旧領尾張伊勢北部5郡を与えられ大大となると吉房もその配下尾張犬山城10万石を領し、翌天正19年1591年)には犬山城主を次子豊臣秀勝替わり吉房尾張清洲城主とされた。 関白となって京都常駐した秀次の不在時などは、家老一人であった吉房所領統治代行することもあったが、その実能力秀吉叔父・秀長に及ばないと言われていた実子の秀次から見てもさらに不足であったようで、「法印年寄付て、おろかなる事之あるべく候当座まにあわせ異儀無き様に申し成す儀、曲事たるべき事」という天正20年1592年6月10日付の秀次書状が現存している。 それでも『駒井日記』によると、文禄2年1593年12月11日尾張蔵入地から1万2,200石を加増されたという。

※この「秀次付き家老」の解説は、「三好吉房」の解説の一部です。
「秀次付き家老」を含む「三好吉房」の記事については、「三好吉房」の概要を参照ください。

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