祭礼「奥澤神社の大蛇お練り神事」
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「奥澤神社」の記事における「祭礼「奥澤神社の大蛇お練り神事」」の解説
奥澤神社の祭礼について、『新編武蔵風土記稿』巻之五十には「祭礼九月十五日、村民ウチヨリテ神楽ヲ奏ス」との記述しか見当たらない。一般には9月第2土曜日に行われる「奥澤神社の大蛇お練り神事」が知られている。 この神事については、次のような由来が伝えられている。江戸時代の中頃、奥沢の地に疫病が蔓延した。ある夜名主の夢枕に八幡神が現われた。八幡神は「藁で作った大蛇を村人が担いで村内を巡行させよ」と名主に告げた。名主は早速夢告に従って新藁で大きな蛇を作り村内を巡行させたところ、疫病は程なくして治まった。藁の大蛇は厄除けの守護神として崇められ、年に1度村内を巡行する祭が始められた。 お練りは例祭の最初のセレモニーとして行われる。午前10時に氏子たちの手で本殿から大蛇が担ぎ出され、宮司から修祓を受ける。拝殿前にある大イチョウを左回り(反時計回り)に3回巡り、鳥居をくぐって巡行を開始する。巡行の先頭は榊持ち1人、紙吹雪を撒く係1人、そして宮司となる。宮司の後ろには、警固役として高張提灯持ち2人が従う。高張提灯持ちの次に大蛇が続くが、頭部は担ぎやすいように木の枠が取り付けられていて、これを4人がかりで担ぐ。大蛇の胴体部分は10人前後が担ぐ。巡行の最後尾は、大蛇の後に従う高張提灯持ち2人となる。周囲には各睦(共栄睦、商睦、あずま睦、諏訪山睦、本町睦、奥沢南睦、九品仏睦)からの役員10名ほどが付き添って車と人の通行に配慮し、車の流れが途切れているときには大蛇を左右に動かしながら担いで蛇の這う様子を表現する。大蛇を作った際に残った藁の束を抱えた役員1人が、沿道の人々に厄除けとして藁を配る。 掛け声は「わっしょい!わっしょい!」で統一され、各睦が設置した神酒所7か所などの町内約4キロメートルの距離を2時間半ほどかけて巡行する。神酒所を回る順番は、共栄睦、商睦、あずま睦、諏訪山睦、本町睦、奥沢南睦、九品仏睦となっている。神酒所で担ぎ手は宮司から修祓を受け、各睦との境目で次の睦の者と担ぎ手を代わる。 正午過ぎに九品仏睦が担ぐ大蛇が環状8号線まで到着すると、交通規制の関係で大蛇は車両に積み込まれて、奥沢駅南側の三叉路付近まで運搬される。車両から大蛇が降ろされると、各睦の代表者たちが担ぎ手となって自由通りを約200メートルほど神社へ向かって巡行を続ける。巡行を終えた大蛇は、本殿に1年間安置された後に神職が修祓を行い、奥澤神社の鳥居に以前の大蛇と交代するかたちで巻きつけられて飾られる。 大蛇お練り神事は、1939年(昭和14年)から1957年(昭和32年)にかけて中断されていた。中断に至った理由は、木造の鳥居から石造の鳥居に替えた際に「石の鳥居では大蛇の腹が冷えてしまうだろう」と気づかったためという。その後1958年(昭和33年)になって、「神社は古いことを見直し、伝えるべきである」との当時の宮司の働きかけによって再興された。 大蛇の制作は、毎年9月の第1日曜日、朝9時に氏子の有志(「奉製者」と呼ばれる)が集まって宮司から修祓を受けた後に開始される。制作に使用する藁は、もち米のものを用いて2-3日前にハカマ(藁の下葉)を除いた上で小さく束ねておく。宮司と約40人の氏子は、頭造りの組と胴体創りの組の2手に分かれて作業を行い、頭部約80センチメートル、胴体部の長さ約10メートル、直径約25センチメートル、総重量約150キログラムに及ぶ大蛇を作り上げる。なお、祭りの中断前は「カミ」、「ナカ」、「シモ」の各ズシが1年ごとの交替制で大蛇を作っていた。その頃は各ズシが大蛇の出来栄えを競い合っていたため、最近の大蛇に比べてよくできていたという。1935年(昭和10年)頃からは各ズシだけで藁を調達することが困難になったため、栃木や群馬からも藁を取り寄せるようになった。他に地元商店街の有志が小型の大蛇を制作している。こちらの大蛇は、四斗樽5本を積み重ねて作られた共栄睦の大神輿に絡めさせられた形で例祭のときに町内を巡行している。小型大蛇の制作を手掛けることによって、藁製の大蛇づくりの技術が若い氏子たちに引き継がれていく。 奥澤神社の例祭はかつて9月15日であったが、明治維新後に太陽暦が導入されると10月15日になり、1974年(昭和49年)からは敬老の日に合わせる形で9月15日に戻った。両日とも囃子が奏されるが、奥沢地区では囃子の演者が絶えている。そのため奥澤神社では、瀬田地区にある瀬田囃子保存会に演奏を依頼している。 大蛇のお練り神事は1977年(昭和52年)のテレビ放映によって知名度が高まり、初詣や厄除けにも奥澤神社の氏子以外の人々が訪れることが増えたという。この神事は、1993年(平成5年)に世田谷区指定無形民俗文化財(風俗慣習)に指定された。2016年(平成28年)には東京都文化財保護審議会により、東京都の無形民俗文化財(風俗慣習)に指定する旨の答申が行われ、同年3月11日付で指定された。東京都文化財保護審議会の答申では藁の大蛇を担いで地域を巡行する形をとるものは都内では他に例がなく、全国的にも珍しいという理由が挙げられた。
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