大神輿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 15:52 UTC 版)
大人の男性(力者)が担ぐ大神輿3基は、屋根、胴体ともに金箔張りの京系神輿である。全体を金具細工で仕上げ、屋根からは瓔珞、胴周りには羅網瓔珞(らもうようらく)の簾が下がり、下部は玉垣状の勾欄で囲んでおり、鳥居が備わっている。また屋根の対角の端は蕨手となっており、蕨手と担ぎ棒間は、大きな鈴がいくつも付いた赤い太綱4本で結ばれているのが特徴である。重さはいずれも1t以上あり、40人以上の力者によって担がれるため、神輿本体の漆塗の担ぎ棒(長さ 3.7m)では担げないので、祭礼では専用の総ヒノキの白木台座(長さ 8.2m、幅 1.5m)をくくり付ける。 壱ノ輿(四角輿) – 井波八幡宮御祭神起源 : 1831年(天保2年)3月〔渡御は1833年(天保4年)より〕 高さ 1.97m(台座から鳳凰まで) 3基の内最も重量がある。 胴体、屋根とも四角。屋根は宝形屋根で軒は四面とも唐破風作りとなっており、屋根の上には羽を広げた黄金の鳳凰が乗る。 この神輿だけ2重玉垣勾欄で、4面に鳥居が付いている。 弐ノ輿(八角輿) – 神明社御祭神起源 : 1841年(天保12年) 胴体、屋根は八角である。屋根の上には吉祥飾りの葱花形の擬宝珠が乗る。 4ケ所に鳥居が付いている。 参ノ輿(六角輿) – 諏訪社御祭神起源 : 1843年(天保14年) 3基の内最も小振りである。 胴体、屋根は六角である。屋根の上には吉祥飾りの葱花形の擬宝珠が乗る。 前後2カ所に鳥居が付いている。
※この「大神輿」の解説は、「よいやさ祭り」の解説の一部です。
「大神輿」を含む「よいやさ祭り」の記事については、「よいやさ祭り」の概要を参照ください。
大神輿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 23:31 UTC 版)
「菅原神社 (小田原市)」の記事における「大神輿」の解説
先代の神輿が海に流されてしまった後、昭和6年(1931年)に作られた大神輿は、重量六百貫(約2300キログラム)、鳳凰の飾りだけでも十六貫(約60キログラム)もあり、その大きさ、優美さでは関東有数と言われる。この大神輿以前は大変荒っぽく担がれていたので、少しでもおとなしくかついでもらおうと、あえて大きな重い神輿を作ったという。昭和27-28年(1952-53年)頃までは担がれていたが、担ぎ手不足や諸問題があり、担がれなくなった。昭和32年(1957年)には四輪の御所車を作って神輿を載せ、牛に曳かせて町内を回っていたが、それも5-6年で中止になり、以来現在に至るまで担がれることはない。平成22年(2010年)4月29日には、市内のみこし保存会の要望により、半世紀ぶりに大神輿による神輿渡御が行われ、220人の担ぎ手が大神輿を担いで神社横の市道を150メートル往復した。
※この「大神輿」の解説は、「菅原神社 (小田原市)」の解説の一部です。
「大神輿」を含む「菅原神社 (小田原市)」の記事については、「菅原神社 (小田原市)」の概要を参照ください。
- 大神輿のページへのリンク