石山合戦と廃城とは? わかりやすく解説

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石山合戦と廃城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 06:46 UTC 版)

石山本願寺」の記事における「石山合戦と廃城」の解説

しかし、その前に立ちはだかったのが織田信長である。信長上洛直後永禄11年1568年)に石山本願寺に対して矢銭5千貫要求した。また元亀元年1570年正月石山本願寺明け渡し要求したと言われている。これに対して顕如全国門徒に対して石山本願寺防衛のため武器携え大坂集結するように指示出した同盟軍三好三人衆軍が織田軍と戦っている最中に、打倒信長決起したのが同年9月12日であった。 「石山合戦」および「野田城・福島城の戦い」も参照 ここから石山合戦蜂起し、これ以降石山本願寺織田信長戦いは、連続した戦闘だけではなく和睦戦術交え途中断続し、両勢力とも同盟勢力の拡大をはかりながら11年続いた。 まず、織田信長は、天正元年1573年8月20日に「一乗谷城の戦い」において朝倉義景率い朝倉軍を追撃して滅亡させる同年9月1日には、「小谷城の戦い」において、居城小谷城籠城した浅井長政滅亡させる本願寺勢力同盟関係ある朝倉義景と浅井長政を失うことによりより苦し状況追い込まれる続いて信長は、一向一揆に対して殲滅戦開始する天正2年1574年9月長島一向一揆平定天正3年1575年8月越前一向一揆平定する信長によるこれらの殲滅戦によって、石山本願寺次第追いつめられていった。同年10月顕如戦局好転一時的な手段として信長有利な和睦申し入れ信長受け入れた。この時信長は、武田勝頼毛利輝元などに挟撃されかねない状態であったため、戦略的に有利な和睦申し入れだった。 しかし天正4年1576年)、顕如各地門徒衆に檄文送り応援求める。そして、食糧蓄えたり、弓や鉄砲などの武器集めたりするなど信長に対して臨戦態勢でいた。 顕如天正4年1576年5月7日天王寺砦の戦いにおいて一旦は信長軍を追い込むものの大敗する信長大坂周辺10ヵ所の付城造るように命じ尼崎城大和田城吹田城高槻城茨木城多田城能勢城三田城花隈城有岡城築城され、兵糧攻めに出る。また住吉方面沿岸にも砦を設け海上警固した本願寺勢力はこれに対抗し守口野江難波木津などに出城構え籠城戦に入る。しかし信長による一揆平定により、諸国門徒からの救援乏しく寺内町として発展していた石山本願寺食糧不足陥る食糧不足打破するために、顕如長子である教如は、備後鞆の浦向かい信長によって京都から追放されていた室町幕府第15代将軍足利義昭仲介得て毛利輝元本願寺対す援助要請した天正4年1576年7月毛利水軍雑賀衆とも合流し石山本願寺兵糧搬入しようとする木津川河口織田水軍阻止しようとするものの壊滅的打撃を受け撤退し兵糧搬入成功した。(第一次木津川口の戦い)しかし天正5年雑賀衆信長降伏天正6年には、毛利水軍鉄甲船6隻を擁する九鬼嘉隆九鬼水軍敗れる。(第二次木津川口の戦い)これらの敗戦により制海権奪われ石山本願寺への大規模な補給路を断たれ厳し籠城戦強いられることになる。 天正8年1580年)閏3月5日正親町天皇勅令により立入宗継調停出向き双方和議成立する同年4月9日顕如鷺森別院向けて退去する退去拒んだ雑賀衆一部とも講和同年8月2日石山本願寺明け渡し雑賀へ向った。顕如長男である教如退去し直後堂舎寺内町炎上して灰燼に帰した二日一夜炎上し続けた伝わっている。石山本願寺は、織田軍の長期攻撃にも関わらず武力開城される事は無かった。「いくつかの要因があるにせよ、最大理由として、城郭そのもの難攻不落名城であったことを挙げねばならない」と解説されている。 興福寺塔頭多聞院院主学侶英俊は、天正8年8月5日付の日記に 「 渡りて後に焼くるように用意しけるが 無残二日一夜三日までに皆々焼け了りぬ 」 —『多聞院日記』 とあり、教如による意図的な放火との見方記している。 その後豊臣秀吉跡地大坂城築き城下町建設したため、大坂本願寺規模構造などはほとんどわからなくなってしまった。

※この「石山合戦と廃城」の解説は、「石山本願寺」の解説の一部です。
「石山合戦と廃城」を含む「石山本願寺」の記事については、「石山本願寺」の概要を参照ください。

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