石山への抗議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 03:59 UTC 版)
その後も石山は「山下事件の感想は、裁判官が不勉強」と語り、「東大教授としてのメンツ」をかけて事件の再検討も行った。石山は、1人の鑑定人(内藤)を除いて頸部筋肉内出血に外因が認められており、1人の鑑定人(木村)を除いて肩もみによる出血が否定されており、1人の鑑定人(内藤)を除いて薬剤アレルギーによる出血も否定されているこの事件について、無罪判決が出されたのは結局裁判官の予断に過ぎない、と事件を総括した。 1988年2月に出版された著書『法医鑑定ケーススタディ』においても、石山は事件について「著者が懸念していたように、この事件は、昭和62年11月10日の横浜地方裁判所で無罪となった」「少なくとも法医学関係では、この判決は容認できないものを数多く含んでいる」と述べ、確定判決に対する不服を表明した。 山下事件以外に、松山事件や財田川事件などの著名な冤罪事件についても、その再審判決への不服を表明しているこの著書に対し、「不十分な見聞や予断によって合理的な根拠もないままに無罪判決を批判。元被告をあたかも有罪または灰色であると思わせるような記述があり、極めて不当」「関係者の名誉と人権を侵害している」として、Aとその弁護人らは、松山・財田川両事件の元被告人ら、弁護人らと連名の公開質問状を同年10月7日に石山へ発送した。これについて石山は、「私は、無罪の人は完全無罪を証明されるべきだとの考え方に立ち、鑑定はあいまいに終わってはならない、少なくともこういう点を明らかにすべきだったと提言したに過ぎない」「謝罪などは考えていない」と述べている。 著書の中で、再審鑑定を「偏向的傾向を持った鑑定があるのは寒心に堪えない」と批判した石山に対し、弁護人の一人小島周一はこれを逆用して、被告人を狙い撃ちにする企図を持った「偏向的傾向を持った鑑定があるのは寒心に堪えない」と、さらに批判している。
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