石山の反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 03:59 UTC 版)
遺体の所見はうつ伏せ状態にあったことを示しているとの内藤の主張に対し、石山は、遺体にあるような蒼白部は硬い板のような物に圧迫された場合には生じるが、布団のように柔らかいものによっては生じないと語り、溢血点を死斑の名残りとする説に対しても、遺体発見から2時間後の現場検証では死斑は前胸部に認められなかったのであり、たった2時間で前面の死斑が背面へ移動することはあり得ない、と反論している。そして石山は内藤の主張を否定し、右前胸部の蒼白部は、遺体の右半身が左半身よりも高い位置にある姿勢で仰向けになっていたためである、とした。また、自身が発見した吉川線を、内藤が古いものであるとした点についても、表皮剥脱は頸部皮膚の弛みに隠れていたために乾燥しなかったのだと述べ、その周囲に早期の生活反応とみられる軽度の発赤もある、と反論している。
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