生業と社会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 05:32 UTC 版)
氷河期下の前期旧石器時代には概ねホモ・ハビリスやホモ・エレクトスなどの原人類、中期旧石器時代には概ねネアンデルタール人などの旧人類が石器を武器にして群れで動物の狩りをしていた時代であり社会構造ははっきりしない。判明しているのは原始的な採集、集団生活の痕跡、樹の皮や獣皮の加工をしていた事である。火の利用は100万年前程度からである。後の方の更新世の北京原人などは次第に洞穴に住まい、若干の言語を使っていたようである。ネアンデルタール人はマンモス等の狩りなどで石器も次第に高度なものとなり小屋を作って器具の加工、獲物の解体や火炉で調理をしていた。埋葬の習慣も見られ、壁画などを描き始める。 社会と呼べるものが検証できるのは後期旧石器時代、概ね新人類(クロマニョン人など、諸説あり)が登場してからである。石器類はさらに高度化し槍、釣り針、網なども使われた。集落での集団生活を中心として栄えた痕跡が顕著となる。集団間での抗争や交易、集団内での原始的な宗教儀礼も確認される。 大きな変化が現れるのは更新世が終わって中石器時代・亜旧石器時代に入り気候が温暖化してからである。氷河が後退しマンモスやトナカイ等の大型獣が北の寒冷地に去り、代わりに温暖地ではイノシシやシカなどが狩猟の対象となった。植物や魚介類の採集が発達する。イヌなどが家畜化され、狩猟や戦闘、踊りなどは壁画に描かれた。今日では家畜となっている多くの動物や、自生した栽培植物の原型を狩猟採集の対象としていた。 やがて人口が増加するほどに食糧が豊富となり、原始家屋を作り居住、農耕・牧畜が始める前の段階に入る。新石器時代の前ぶれである。それまでは狩猟採集社会であった。旧石器時代の人類の態様は地域によって多様である。 旧石器時代の社会は、群れまたは社会ごとに指導者が存在した。男性・女性はおおむね平等で、男性は狩猟、女性は漁労および育児を事としていたが、この役割はしばしば共有されており、明確な分業はされていなかったと考えられている[要出典]。 当時の人糞の化石からは、旧石器時代の人類はハーブなど植物に関する知識が豊富であったことが知られ、現代人が想像するよりも健康的な食事が実現されていたことも判明している[要出典]。
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