淘汰開始および中断・各種改造
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「名岐鉄道デボ800形電車」の記事における「淘汰開始および中断・各種改造」の解説
幾度もの改造を経て長らく第一線で運用された本系列であるが、7000系「パノラマカー」など新型車両の導入に伴って、1969年(昭和44年)5月にモ800形803・806・807およびク2310形2315の計4両が運用を離脱した。このため、編成相手を失ったモ805とク2313は同2両で新たに編成を組成し、末尾同番号同士を基本としたモ800形・ク2310形の固定編成に初の例外が生じた。 ク2315は1969年(昭和44年)7月2日付で除籍され、同年8月に福井鉄道へ貸与されたのち正式譲渡された。また、モ803は1969年(昭和44年)10月28日付で除籍となり、こちらは東芝府中工場へ売却された。モ806・モ807については長期間休車となったのち、1971年(昭和46年)8月2日付で除籍され、主要機器を7300系新製に際して供出し、車体は解体処分された。 本系列を含むAL車各形式を種車とする7300系への車体更新はその後も継続する計画であったが、1970年代の高度経済成長期における輸送量増加は年々激しさを増し、同数代替となる車体更新車の増備よりも車両数が純増となる新製車の増備が求められたことから、7300系の導入は1971年(昭和46年)度のみで打ち切られた。さらに1973年(昭和48年)の第一次オイルショックによって従来自家用車を利用した通勤客の公共交通機関への移転が進み、朝夕ラッシュ時における混雑率の悪化は限界に達した。名鉄は輸送事情改善のため戦後の大手私鉄事業者としては異例となる他社からの譲渡車両導入に踏み切るという非常手段を選択せざるを得ない状況となり、従来車の代替を実施する余裕はなくなったため、本系列の淘汰も一時中断された。 淘汰計画中断を受け、残存した車両を対象に前面貫通扉および客用扉の鋼製扉化・戸袋窓のHゴム固定支持化など、各部の近代化改造が1974年(昭和49年)から1976年(昭和51年)にかけて順次施工された。ただし、これらは全車統一した内容では施工されず、例えばモ810は前面貫通扉が木製のまま存置され、ク2311は後年まで木製扉と鋼製扉が混在した状態にて運用された。その他、全車を対象にワイパーの自動動作化・前照灯のシールドビーム化・車内照明の蛍光灯化が順次施工された。 また、モ809・モ810の2両は1975年(昭和50年)4月に名鉄式自動解結装置(M式自動解結装置)の現車試験車となった。M式自動解結装置は、列車の連結および解放を運転台に搭載されたスイッチによる遠隔操作によって自動的に行う装置であり、試験供用に際してはモ809の新岐阜寄りとモ810の豊橋寄りの各連結器を、電気連結器を装備した密着自動連結器へ交換し、専用の胴受が新設された。同年9月の試験終了後も密着自動連結器と胴受はそのままとされ、同2両の特徴となった。 名鉄においては、1960年代以降に従来車のうちロングシート車を対象に座席のセミクロスシート化を順次施工したが、本系列は施工対象から除外され、ロングシート仕様のまま存置された。そのため、本系列の車体塗装は長らくロングシート車用の塗装であるダークグリーン1色塗装とされていたが、1975年(昭和50年)の3880系の導入を契機として、名鉄の保有車両における統一標準塗装がスカーレット1色塗装と定められたため、本系列も順次塗装変更が実施された。 その他、1980年(昭和55年)3月から翌1981年(昭和56年)9月にかけて、モ800形801・802・804・805・809・810のD16台車、およびク2310形2311 - 2314のD15台車を、7300系の台車新製に際して発生したコロ軸受(ローラーベアリング)化改造済のD18台車へ換装する工事が施工された。前記10両から捻出されたD16・D15台車は間接非自動制御(HL制御)の車体更新車である3700系(2代)・3730系へ転用され、同系列が装着した種車由来の雑多な台車の淘汰に用いられた。
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