洲本占領と尼崎到着とは? わかりやすく解説

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洲本占領と尼崎到着

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:34 UTC 版)

中国大返し」の記事における「洲本占領と尼崎到着」の解説

姫路出発したのが6月9日であったことについては、それぞれの史料において一致している。9日朝、秀吉浅野長吉(後の浅野長政)を留守居役として姫路留め残り全軍率いて姫路城進発した。この日は明石経て夜半には兵庫港神戸市兵庫区近く野営したまた、別働隊組織して明石海峡より淡路島東岸進軍させ、明智方にまわる可能性のある菅達長菅平右衛門)の守る洲本城兵庫県洲本市)を攻撃した菅氏毛利氏与力していたので、水軍による海上からの襲撃警戒したものであった洲本城9日のうちに落城した。 秀吉同時に播磨摂津国付近に岩屋砦を普請している。これは、6月10日付の秀吉書状によれば明智光秀久我京都市伏見区付近に着陣したと記されていることから、光秀摂津河内方面へ移動するではないか考えたため、国境付近固めて急襲備え必要に迫られたからと推定される当時大坂滞在中の神戸信孝光秀軍に包囲され自刃したという風評流れていた。10日付け秀吉書状には、6月11日までに兵庫または西宮兵庫県西宮市辺りまで行軍する予定であると記されている。実際に10日段階光秀は京の下鳥羽京都市伏見区)におり、山崎周辺にも兵を派遣していた。この段階では、秀吉光秀双方互い真意探りつつ、意図的に風評を流すことも含めた情報戦展開していたのである秀吉軍は10日朝に明石出発し同日夜に兵庫まで進んでいた。10日夜は兵庫充分に休息し、翌6月11日朝に出発摂津尼崎到着したのは、その日夕刻であったろうと考えられる尼崎東方には淀川流れ、その対岸大坂である。秀吉亡君弔い合戦に臨む決意を示すため、当時尼崎東郊にあったとされる栖賢寺廃寺)で自身の髻(もとどり)を切ったという逸話残っている。秀吉大坂陣中丹羽長秀神戸信孝および有岡城兵庫県伊丹市)の城主池田恒興らに尼崎着陣したことを書面伝えたこの間光秀近江方面攻略一段落した9日勅使下向返礼称して安土より上洛した。光秀入京の際には公家町衆群がって出迎えたといわれる光秀吉田兼見通じて朝廷銀子500京都五山大徳寺などを含めると700銀子献上、さらに上京下京に対して地子銭免除特典発し新たな天下人として振る舞った。 また光秀は、6月9日付で細川藤孝(幽斎)に対して再び書状送り味方してくれれば摂津一国と、希望とあれば但馬でも若狭でも父子差し上げる、50日・100日の間に近国平定しその後忠興自分嫡子明智光慶政務譲って引退する約束した。しかし、孝はまたも中立姿勢貫いたが、藤田達生によればこの間遅くとも6月8日までに秀吉使者孝と接触していたとしている。孝は光秀からの要請応じなかったが、山崎の戦いでは秀吉にも加勢しかったにかかわらず7月11日付の書状においては秀吉孝に対し、その全面的な協力謝意表し今後細川氏処遇請け合うことを神に誓う起請文発している。 一方で大和には使者送り筒順慶加勢求めた順慶は、6月2日時点では上洛途中であったが、本能寺の変報を聞いて引き返した4日には兵を山城出し5日には一部近江進出させて光秀協力したため、光秀への加担確実なもの周囲には思われていたが、9日には居城郡山城退去して、籠城覚悟決めて米や塩を入れはじめた態度をはっきりさせない順慶に対して光秀は、10日宇治川木津川越えて男山京都府八幡市)に近い洞ヶ峠京都府八幡市大阪府枚方市)まで出かけて圧力をかけたが手応えがなく、同日順慶山城派遣していた兵も引き揚げてしまった。光秀順慶への誘い諦め男山伏せておいた兵力撤収させ、洞ヶ峠降りて鳥羽に陣を敷いたまた、兵の一部近在農民徴発して天王山の北に位置する淀城京都市伏見区)を修築し、その西方勝竜寺城京都府長岡京市)にも兵を入れた。これは10日から11日にかけてのことと考えられる。 なお、秀吉備中高松から姫路までの移動迅速さ比べれば姫路からの移動は、慎重さ伴い着実な行軍重点置かれている。姫路までは、毛利方の追撃免れるため何よりもスピード重視されたのに対し姫路からは光秀放った伏兵などを警戒しながらの行軍であり、同時に同盟者募り情報戦繰り広げながらの行軍だったのである

※この「洲本占領と尼崎到着」の解説は、「中国大返し」の解説の一部です。
「洲本占領と尼崎到着」を含む「中国大返し」の記事については、「中国大返し」の概要を参照ください。

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