歴史と産地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/28 03:44 UTC 版)
伝統的に山科の特産品として栽培されてきた。起源は不明だが、現在の京都市左京区吉田付近で栽培されていたもぎなすを慶応年間に品種改良して大型化したともされる。20世紀前半には他品種を凌駕するようになり、1945年頃までは京都府におけるナス栽培のうち60 - 70%を山科なすが占めていた。しかしその後は変色などの欠点が敬遠され、千両二号などの外観が良い一代交雑品種にシェアを奪われた。市場で流通する事はなくなったが京都市山科区の一部の農家によって生産は続けられ、振売の形で消費者や外食店に販売されていた。 その後、1989年からブランド京野菜の事業が始まったのがきっかけとなり、1996年から府内各地で試作が進められた。1999年3月にブランド京野菜として認証を受けて府内各地に生産が拡大したが、傷の発生など品質のバラつきに加えて収量も低く、2003年までの4年間で栽培面積はほぼ半減した。一方でこの間も系統選抜などが進められ、栽培面積はその後回復に転じている。近年は木津川市や京都市、大山崎町、与謝野町などで生産されている。なお京都市内の栽培戸数は3戸のみとなっており、山科区勧修寺の農家に委託する京都市特産そ菜保存圃が設置されている。
※この「歴史と産地」の解説は、「山科なす」の解説の一部です。
「歴史と産地」を含む「山科なす」の記事については、「山科なす」の概要を参照ください。
歴史と産地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 09:13 UTC 版)
醍醐天皇が好物としており太夫の位を授けたという言い伝えがあり、そこからわらび餅の異名を岡大夫とも言う。そのいわれが寛永19年(1642年)に書写された大蔵虎明能狂言集(大蔵虎明本)の「岡太夫」に古い言い伝えとして書かれている。また同時に凶作に見舞われた農家の非常食でもあったという言い伝えもある。 東海道の日坂宿(現在の静岡県掛川市日坂)の名物としても知られており、谷宗牧の東国紀行(天文13-14年、1544年-1545年)には、「年たけて又くふへしと思ひきや蕨もちゐも命成けり」と、かつて食べたことのあるわらび餅を年をとってから再度食べたことについての歌が詠まれている。ただし掛川周辺は鎌倉時代から歌に歌われるほどの葛布の名産地であり、林道春(林羅山)の「丙辰紀行」(元和2年、1616年)にはこの日坂のわらび餅について、「或は葛の粉をまぜて蒸餅とし。豆の粉に塩を加えて旅人にすすむ。人その蕨餅なりとしりて。其葛餅といふことをしらず。」とあり、天明6年(1786年)頃の「東街便覧図略」にも、「蕨餅とハ言へと実は掛川の葛の粉を以って作れる也」ともある。 奈良県はわらび粉の名産地であり、奈良や近くの京都ではわらび餅の名店が数多く見られる。京都では餡入りの蕨餅が古くから親しまれてきた。また夏のイメージが強いが和菓子店で売られている本蕨を使った餡入りタイプのわらび餅は保存に向かないため、夏の間は販売されていないことが多い。
※この「歴史と産地」の解説は、「わらびもち」の解説の一部です。
「歴史と産地」を含む「わらびもち」の記事については、「わらびもち」の概要を参照ください。
歴史と産地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:09 UTC 版)
慶長年間に栽培が始まった近江かぶが原種とされる。享保年間に、現在の京都市左京区聖護院に住む農家が近江国堅田から近江かぶの種子を持ち帰り、改良を加えて聖護院かぶが誕生したとされる。 聖護院を中心に栽培されていたが、昼夜の気温差が大きく霧が発生する亀岡盆地の気候が栽培に適している事から、現代では亀岡市篠地区が府内における生産の中心地となっている。また、滋賀県大津市でも盛んに栽培されている。亀岡市の聖護院かぶは2007年にブランド京野菜の指定を受け、同市における同年の栽培面積は18ha、出荷量および金額はそれぞれ1,100トン、1億円となっている。
※この「歴史と産地」の解説は、「聖護院かぶ」の解説の一部です。
「歴史と産地」を含む「聖護院かぶ」の記事については、「聖護院かぶ」の概要を参照ください。
歴史と産地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/23 09:45 UTC 版)
16世紀末に聚楽第が破却されると、その堀はゴミ捨て場となり、有機物に富んだ通気性のよい土壌が形成された。同地で偶然ゴボウが巨大に成長したのがきっかけとなり、堀川ごぼうの栽培が始まったと言われる。ブランド京野菜として京丹後市と福知山市でまとまった量が生産され、京都市および舞鶴市でも生産されている。京都市内では、左京区一乗寺に特産そ菜保存圃が設置され、20戸の農家が栽培している。
※この「歴史と産地」の解説は、「堀川ごぼう」の解説の一部です。
「歴史と産地」を含む「堀川ごぼう」の記事については、「堀川ごぼう」の概要を参照ください。
歴史と産地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 21:12 UTC 版)
麦わら帽子は中世後から欧州およびアジアにおいて夏季に着用されており、中世から今日に至るまでほとんど変化していない。『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の著名な暦の縮小版で全ての階級の男性によって着用されている様が多数描かれているのを見ることができる。 手工芸で製作される麦わら帽子の製造方法は時代によって多少異なるものの「近世工業の中で最も美なるもの」と称された。
※この「歴史と産地」の解説は、「麦わら帽子」の解説の一部です。
「歴史と産地」を含む「麦わら帽子」の記事については、「麦わら帽子」の概要を参照ください。
- 歴史と産地のページへのリンク