歴史と生産量
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 02:24 UTC 版)
鳴門わかめの歴史は古く、天平時代や平安時代に阿波の貢物として朝廷に献上されていたとの文献も見つかっている。現在では三陸地方に次ぐ主要産地で、都道府県別に見ると徳島県の生産量は全国で3位である。2011年(平成23年)には東日本大震災により最大産地の三陸地方が被災したことで三陸わかめの生産量が大きく減少し、相対的に生産割合の増えた徳島県が生産量で1位になった。 昭和中頃までは天然わかめが大部分を占めていたが、1963年(昭和38年)から鳴門市と阿南市の一部で養殖へと移行し、1974年(昭和49年)には養殖の経営体数が800、収穫量は15500トンに達した。その後は経営体数自体が徐々に減少し、温暖化による水温上昇の影響もあり、2016年(平成28年)には収穫量が全盛期の4割程度の5946トンまで落ち込んだ。こうした事態に徳島県では2012年(平成24年)から品種改良を進めている。
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