東京線の運航
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羽田空港発着枠の関係から、新空港開港と同時の東京線就航は実現しなかった。羽田B滑走路拡張に伴う2000年(平成12年)7月1日からの発着枠拡大で、新空港開港により就航する路線へ優先的に配分する特定枠として紋別線に1往復が割り当てられた。これを受けてANKと親会社の全日本空輸(以下ANAと表記)は同年7月1日からの東京 - 紋別線就航を発表、7月1日、第1便が就航した。機材は新千歳線と同じ旅客定員126名のB737-500で、当初は7月から10月までの夏期と2月・3月の流氷観光期に運航する季節便とされた。就航1箇月間の利用率が55.9 %とまずまずの数値であったころから、運輸省とANKで協議の結果通年運航となった。貨物でも紋別で朝水揚げされた海産物が当日中に東京に到着できるなど、各方面で効果が高まる東京線就航開始だった。 2008年(平成20年)10月30日、紋別市にANAのネットワーク戦略部長を招いて講演会が行われ、東京線は採算ラインの60 %に届いていないことから利益が出ず厳しい状況であることが報告された。この中で、他空港の事例として能登の能登空港#搭乗率保証制度や、宮古・石垣の本土直行便廃止事例が紹介された。搭乗率保証制度はHAC札幌線での赤字補填に近いが、目標値を上回った場合にANAから利益還元が受けられる点が異なる。直行便廃止事例は、本土 - 那覇および那覇 - 宮古・石垣間で増便や機材大型化を実施し乗り継ぎ割引を導入したものである。乗り継ぎは発生するが、1往復の直行便と比べ時間帯が選択でき利便性が向上、加えて那覇 - 先島間の需要も取り込み乗客は予想以上に増えているという。これを応用し、東京線を新千歳線2往復程度に振り替えれば、新千歳から各地への乗り継ぎ需要に加えて札幌への移動需要も期待できるとした。これはあくまで私案でANAとしての決定ではないと断りがあったが、検討してもらいたいとも付け加えられた。 2011年(平成23年)8月、同年10月30日から2012年(平成24年)1月31日まで東京線を一時休止・新千歳線を一時再開させて乗り継ぎ便とする方針が明らかになった。東京線は特定枠であるため、路線引き継ぎを表明した航空会社に枠が移管されるが、就航を希望する航空会社がないため特例として経由便が認められている。計画では東京発は直行便と同程度の出発時刻、紋別発は15時頃の1日1往復を予定する。新千歳 - 紋別間はジェット機を使用し、移動時間は通算約3時間である。運賃は直行と同水準に抑えられるが新千歳ではいったん降機が必要となるなど、乗り換えの手間を嫌って集客に影響が出る懸念が広がっている。 2002年(平成14年)に59.1 %の利用率となったのを最高に、以後は微減傾向が続き、2007年(平成19年)は53.8 %だった。景気悪化による観光客・出張客の減少、女満別や旭川への利用客流出があり、2010年現在微減傾向は止まっていない。航空会社は経営維持のため地方路線縮小を進めており、搭乗率保証制度案あるいは新千歳線振替案があるように東京線と言えども安心できない状況にある。紋別市の各種対策は利用率向上に結び付いておらず、2011年(平成23年)の東京線一時休止も一部市議会議員の間では廃止へ向けた前提ととられている。ANAは東京線休止の間に路線存廃を検討するとしており、東京線および紋別空港自体の維持へ向けた新たな戦略が問われている。その後2019年度は60.9 %、2020年度は新型コロナウイルスの影響による減少で30.6 %と推移している。 また主にマイル修行を目的に東京線を日帰りで単純往復する乗客も存在し往復行為が「紋別タッチ」と通称されており、2021年9月から紋別地区のANA総代理店を務める紋別観光振興公社がFacebook「ANAプレミアムメンバー」グループとの協力で日帰り客をターゲットとした振興策を開始。振興公社職員と地元ホテル職員による乗客の出迎えやスタンプカードによる往復回数に応じたステッカーの贈呈、5回以上往復した乗客名の空港内掲示やTシャツ・弁当の配布などといった活動を展開し乗客数が2020年度23,754名から2021年度には37,374名に増加し内17.8%が日帰り目的の乗客となった。
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