書道団体の離合集散(戦前)
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「日本の書道史」の記事における「書道団体の離合集散(戦前)」の解説
謙慎書道会 1904年(明治37年)西川春洞の高弟達により創立された謙慎同窓会を母体に持ち、諸井春畦、豊道春海、武田霞洞らが参加。1930年(昭和5年)には春興書道会創立。1933年(昭和8年)5月 に西川寧・林祖洞・江川碧潭・鳥海鵠洞・金子慶雲により謙慎書道会が創立された。大東亜戦争終結後、築地本願寺にて書談会を行い、篆刻部を設置。理事制を敷いてからは青山杉雨が初代理事長となり、副理事長には殿村藍田、上條信山を擁し、「七賢人」(西川寧、青山杉雨、上條信山、殿村藍田、浅見筧洞、成瀬映山、小林斗盦)を輩出。昭和57(1982年(昭和57年))にはかな部が新設され、漢字・かな・篆刻の三部門となる。同会は現在も存続しており、定期的に日本藝術院へ人材を送り出している。 日本書道作振会 1922年(大正11年)正月に日下部鳴鶴が亡くなり、同年12月に小野鵞堂が逝去した。その2年後の1924年(大正13年)8月、西川春洞(1915年(大正4年)没)の高弟である豊道春海が当時のほとんどの書家を結集して「日本書道作振会」を創立させるという偉業を成し遂げた。その第1回展は翌1925年(大正14年)11月、日本美術協会列品館で開催された。1926年(大正15年)の第2回展は新築の東京府美術館(現在の東京都美術館)で開催されたが、比田井天来と丹羽海鶴はすでに脱会を宣言している。そして第3回展が開催された翌年、8人の書家による新書道会創立という宣言書が発せられた。 戊辰書道会 長谷川流石・川谷尚亭・吉田苞竹・高塚竹堂・田代秋鶴・松本芳翠・佐分移山・鈴木翠軒の8人を発起人とする1928年(昭和3年)1月の書道会創立宣言書には、 書道ノ作興ニ対シ、小生等予テヨリ稽フル処アリシガ今回愈々其ノ機熟シ茲ニ新タナル書道会ヲ創立シ書道ノ健全ナル向上発展ヲ図ルト同時ニ実力本位ニヨリ新進ノ大成ヲ期シ兼テ後進ヲ誘掖センコトヨ欲ス。(以下省略) とある。この8人が中心となって1928年(昭和3年)7月に結成したのが「戊辰書道会」であり、日本書道作振会からの分離独立によって書道界は二分された。 泰東書道院 「戊辰書道会」結成からわずか2年後の1930年(昭和5年)6月、日本書道作振会と戊申書道会が統合して新団体「泰東書道院」が結成された。これも豊道春海の尽力によるものであった。第1回展は早くも1930年(昭和5年)11月、東京府美術館で華々しく開催された。 東方書道会 吉田苞竹・松本芳翠・高塚竹堂・佐分移山・長谷川流石・辻本史邑・黒木拝石の7人が「泰東書道院」を分断して新しい書道会の創立を計画し、のちに川村驥山・服部畊石・柳田泰雲・篠原泰嶺が加わり、1932年(昭和7年)4月、「東方書道会」を結成した。 三楽書道会 若海方舟が提唱者で昭和9年(1934年)5月に誕生し、第1回展が同月、開催された。 大日本書道院 1937年(昭和12年)4月、比田井天来が鳴鶴門の一部の人々と天来直門の人々で組織したのが「大日本書道院」である。1937年(昭和12年)7月24日から8日間、東京府美術館で第1回展を開催し、2,950点の出品作品を天来が単独審査し話題を呼んだ。また、70余点におよぶ鳴鶴遺墨展を併催した。第2回展を終えた翌年、1939年(昭和14年)1月4日、天来が急逝したが会は遺業を受け継いで存続した。しかし、昭和16年(1941年)12月29日、声明書を発して解散し、「興亜書道連盟」に吸収された。 興亜書道連盟 川崎克(政治家)が満州と中華民国との親善を目的に1939年(昭和14年)4月、「興亜書道連盟」を結成した。第1回展は北京中南海公園懐仁堂・大連三越・上海中部日本学校・南京朝天宮・大阪市立美術館の5会場で公開された。 書壇革新協議会 1940年(昭和15年)12月、東亜書道新聞社が座談会を催し、書家の参集を求めて書道界の大同団結について意見を交換し、1941年(昭和16年)1月、「書壇革新協議会」の結成に至った。しかし種々の難問があったことや所期の目的を達成したことからすぐに解散の声明を発した。 大東亜書道会 大政翼賛会が乗り出して国策に添う新団体結成を図り、1943年(昭和18年)1月、「大東亜書道会」が結成された。反対意見が許されない時代背景もあって時局は緊迫し、「東方書道会」は解散、「泰東書道院」「三楽書道会」は休眠状態に入り、「興亜書道連盟」は健在である声明書を発したものの自由が利かなくなった。「大東亜書道会」は戦争を背景にした特殊機関であり、もはや書道のための団体ではなかった。
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