日韓メディアによる報道
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「日本の慰安婦問題」の記事における「日韓メディアによる報道」の解説
『朝日新聞』は、1982年9月2日(大阪版)22面において「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」、1983年11月10日朝刊3面「ひと 吉田清治さん」で、吉田清治を取り上げて報道。1984年11月2日には「私は元従軍慰安婦 韓国婦人の生きた道」と題し、「邦人巡査が強制連行 21歳故国引き離される」とのキャプション付きで、元慰安婦と主張する女性のインタビュー記事を掲載した。 『読売新聞』でも1987年に「従軍慰安婦とは、旧日本軍が日中戦争と太平洋戦争下の戦場に設置した「陸軍娯楽所」で働いた女性のこと。昭和十三年から終戦の日までに、従事した女性は二十万人とも三十万人とも言われている。『お国のためだ』と何をするのかも分からないままにだまされ、半ば強制的に動員されたおとめらも多かった。」と説明がされている。(読売新聞社の元記者小俣行男は「『戦場と記者 - 日華事変、太平洋戦争従軍記』冬樹社、1967年」にもビルマ(現在のミャンマー)での従軍慰安婦についても書いていて読売社内での従軍慰安婦についてはいくらか浸透していたと見られる。) 1990年8月9日、光復45周年特別企画「太平洋戦争の怨霊たち」にて元慰安婦のインタビューを含むドキュメンタリー放送。 1991年5月22日、『朝日新聞』(東京の社会部市川速水記者が取材チームを率いていた。)大阪版が再び吉田証言を紹介し、同年8月11日には「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」と題した記事(植村隆韓国特派員・ソウル発)で元慰安婦の金学順について「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され」たと報道する。 同年8月15日、韓国ハンギョレ新聞は金学順が「親に売り飛ばされた」と報道した。 同年8月23日、NHKBSが特集「世界が伝える日本」において、韓国KBSのドキュメンタリー「太平洋戦争の怨霊たち」を放送。韓国女性20万人を挺身隊として昼は働かせ、夜は慰安婦をさせた告発ドキュメンタリーとKBSニュースは報道。 同年10月10日には朝日新聞大阪版が再度、吉田清治へのインタビューを掲載する。同年12月10日には「第2次大戦の直前から『女子挺身隊』などの名で前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた」、1992年1月11日には「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と報道。 1991年10月7日から1992年2月6日にかけて、韓国のMBC放送は制作費72億ウォンを投じたドラマ『黎明の瞳』を放映し、最高視聴率58.4%を記録した。ヒロインが従軍慰安婦として日本軍に連行されるストーリーで、日本軍兵士が慰安所を利用したり、朝鮮人兵士を虐待する場面が放映された。原作は金聖鍾の同名の小説(全10巻)で、1975年10月から韓国の日刊スポーツ新聞で連載されていたもの。 宮澤喜一首相の訪韓を前にした1992年1月11日、朝日新聞が一面で「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」「政府見解揺らぐ」と報じる。同日朝日新聞夕刊では「韓国内のテレビやラジオなどでも朝日新聞を引用した形で詳しく報道され」たとのソウル支局電を掲載した。翌1月12日の朝日新聞社説では「歴史から目をそむけまい」として宮澤首相には「前向きの姿勢を望みたい」とした。 ジャパン・タイムズは、1月11日夜のテレビ番組での渡辺美智雄外相の「なんらかの関与があったということは認めざるをえない」との発言を引用し、「日本の政府責任者が戦時中に日本軍がhundreds of thousands(何十万人)ものアジア人慰安婦への強制売春 (forced prostitution) を初めて認めた」と伝える記事を同月13日に掲載した(秦郁彦は、実際の発言内容とは異なるとしている)。 1月14日には東亜日報が、「挺身隊が国民学校生まで連れて行った」との見出しで報道。
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