日本プロ野球における危険球とは? わかりやすく解説

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日本プロ野球における危険球

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 04:42 UTC 版)

死球」の記事における「日本プロ野球における危険球」の解説

公認野球規則では6.02(c)(9)において投手打者狙って投球することが禁じられており、「これを投球した投手およびそのチーム監督には、審判員により退場宣告もしくは同様の行為もう一度行った場合即刻退場させる旨の警告が発せられる」と定められている。この場合打者投球当たったか否か問わず審判自身判断投手(または投手監督)を退場させることができる。 日本野球機構ではこれとは別にセ・パ両リーグアグリーメント39条に危険球についての規定置いている[出典無効]。これによれば、「投手投球打者顔面頭部ヘルメット等に当たり、審判員がその投球危険球判断したとき、その投手は即退場となる」とされているが、「ヘルメット"等"」とあるように、胸から上の頭部付近部位当たった場合でも、審判員判断により危険球見なされる場合もある(1998年4月10日巨人-横浜戦で石井浩郎の上背部への危険球退場処分になった佐々木主浩の例などがある)。また、危険球」とは「打者選手生命影響与える、と審判員判断したものをいう」と定義されている。 なお、頭部投球当たった場合でも緩い変化球などでそれが危険球ではないと判断され場合は、投手は即退場はならず警告が発せられる。この場合次にいずれかチーム投手頭部付近への投球行えば退場命じられる退場記録は、その試合などでノーゲームになっても残る。 1982年審判員により危険球対す規定制定され同年より適用同年8月6日井上祐二投球に対して適用され退場処分となる。 危険球制度がより確立されきっかけは、1994年5月11日ヤクルトスワローズ読売ジャイアンツ巨人)戦で発生した死球合戦から、西村龍次ダン・グラッデン顔面付近に投じた球がきっかけとなり起こった乱闘である。事態重く見たセントラル・リーグは緊急理事会開きさしあたって故意過失問わず頭部死球与えた投手退場」というアグリーメント新規に設けた最初の適用者は中日ドラゴンズ郭源治)。その後カーブすっぽ抜け退場になった例もあったことから、翌1995年からは審判危険球でないと判断した場合には退場を課さないというルールになった一方でパシフィック・リーグでは、審判それまで以上に厳しルール運用をするという見解とどめた。両リーグ違い一例として、1999年4月9日巨人村田真一横浜ベイスターズ斎藤隆から顔面死球受けた際、斎藤は即退場となったが、同年9月8日福岡ダイエーホークス秋山幸二2回裏西武ライオンズ松坂大輔から顔面死球を受け頬骨骨折怪我負い退場した際は、松坂には警告処分のみ発せられ、松坂そのまま6回3分の2まで投げた。セ・パ共通の現行のルールになったのは2002年からである(最初の適用者はセでは巨人三浦貴、パでは2003年ダイエー吉武真太郎)。 前述のとおり、最初危険球警告となるか即退場となるかは球審裁量委ねられるが、従来から一度でも危険球投げた場合は即退場としていたセ・リーグでは現在でも即退場となる場合多く対照的に警告後退場のルール運用していたパ・リーグでは即退場処分少な傾向にある[要出典]。2005年5月13・14日に行われた西武ライオンズ巨人インボイスSEIBUドーム)の試合では、両日2戦合わせて6個の死球出たことから、審判団15日第3回戦を「パ・リーグ アグリーメント」に基づいて警告試合」とし、この試合死球与えた投手即刻退場、また意図的にぶつけたなど悪質な場合はそのチーム監督退場にするという警告両チーム発した2021年シーズン終了時点で、危険球による退場最多記録山口俊4度2012年2014年2015年2021年)で、それに継ぐのは桑田真澄浅尾拓也内海哲也3度このうち浅尾のみが全て2008年記録であり、これがシーズン最多記録でもある。山口2021年9月14日DeNA巨人第19回戦でソト危険球与え通算最多記録4度更新したのと同日に、ヤクルト阪神19回戦でもアルバート・スアレス中野拓夢危険球与えており、同日に2投手危険球退場という珍しい記録生まれている。 プロ初登板で危険球退場になったのは、2005年9月1日小林正人中日)、2010年4月18日矢地健人中日)、2015年5月3日風張蓮ヤクルト先発登板では初)、2021年6月26日高田孝一楽天)である。 1球で危険球退場になった投手として、2006年6月17日高井雄平ヤクルト)、2009年4月30日岩瀬仁紀中日)、2009年8月2日有銘兼久楽天)、2010年9月16日甲藤啓介ソフトバンク)、2011年4月24日松井光介ヤクルト)、2015年5月24日山﨑康晃DeNA)、2018年8月16日ラファエル・ドリス阪神)、2022年7月20日笠谷俊介ソフトバンク)がいるが、いずれもリリーフ登板である。先発投手による危険球退場までの最少投球数および打者数は、2021年7月2日埼玉西武ライオンズ佐々木健記録した3球、打者1人である(セ・リーグでは2017年9月30日畠世周巨人)の4球、2人最少)。二軍では、2022年7月7日髙橋優貴巨人)の2球打者1人である。この記録佐々木健の3球を1球上回っている。 2012年の日本シリーズ第5戦では多田野数人日本ハム)が日本シリーズでは初めてとなる危険球退場処分受けている。 また、渡辺俊介ロッテ)は2006年4月29日楽天戦で、6回までノーヒットノーランピッチングを続けていたものの、7回先頭鉄平に2打席連続死球となる頭部死球与えてしまい、危険球による退場処分を受け、アクシデント以外では非常に珍しい被安打0での降板かつ退場処分ながら勝利投手という珍記録樹立した。なお、渡辺勝利投手となり、ヒーローインタビュー受けている。その際に、渡辺鉄平に対して謝罪行った

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