日本プロ野球における例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 10:18 UTC 版)
「ナックルボール」の記事における「日本プロ野球における例」の解説
緩急差の見せ球として利用する投手は日本球界にも存在したが、日本人選手でナックルを本格的な決め球とした投手はほとんど皆無といえる。ナックルでストライクを狙って取ることができた投手や、ニークロ兄弟ほどの大きな変化をさせる投手は登場していない。これの理由としては、日本で使われているミズノの球では縫い目が低くて空気抵抗が小さいためとも言われており、後述のジャレッド・フェルナンデスも日本では活躍できずに終わっている。 2008年に引退した前田幸長がナックルの握りを使いこなして実績を挙げたが、ボールが終盤で縫い目から回転を始めるのに対し、彼のナックルは微妙に回転がかかっており、また球速も120km/h近辺であったため、「ナックルチェンジ」や「ナックルフォーク」と呼ばれることがある。 1953年から1965年の間、阪神タイガース (1960年までは大阪タイガース)に在籍した渡辺省三は、「省やんボール」と呼ばれたスローナックルを投げたことがある。後に渡辺は「球速はおそらく50km/hぐらいだったと思う」と述べている。1994年のドラフト1位指名でヤクルトスワローズに入団した北川哲也は、独自に開発を加えたというナックルを武器としていたが、一軍ではあまり通用せずプロ通算4勝に終わっている。また、2005年、当時千葉ロッテマリーンズに所属していた小宮山悟は、フォークボールの握りで80km/h台の球速でナックルのように揺れながら落ちるシェイクという球種を開発し、試合中に使った。ただし、この球種は基本的に点差の開いた場面でしか投げなかった。 外国人選手では1962年から1969年にかけて阪神タイガース及び近鉄バファローズに在籍したジーン・バッキーがナックルを決め球として活躍し、1964年には29勝を挙げ最多勝利、最優秀防御率、沢村賞のタイトルを獲得する活躍で通算100勝を挙げている。また、1998年から2004年にかけて広島カープ及び千葉ロッテマリーンズに在籍したネイサン・ミンチーは多彩な変化球の中にナックルも交えた投球を見せ、2001年には最優秀防御率のタイトルを獲得するなど日本球界在籍7年で通算74勝の実績を挙げた。2017年にはオリックス・バファローズにナックルを決め球とするフィル・コークが入団した。投球の多くがナックルである投手としては1998年に近鉄バファローズに入団したロブ・マットソンが日本球界では初である。マットソンは130km/h台中盤の速球に110km/h程度と60km/h台の2種類のナックル、カーブなどを組み合わせ9勝を挙げたが、翌年には攻略され解雇されている。2007年には投球の6~7割がナックルで速球は120km/h前後というスタイルのジャレッド・フェルナンデスが広島に入団したが、防御率6.04の成績に終わり1年限りで解雇されている。 2009年に発足した関西独立リーグに所属する神戸9クルーズは2008年11月のドラフトでナックルボーラーの女性投手、吉田えりを指名して注目を集めた。
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