日本プロ野球における実例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:10 UTC 版)
二段モーションは小林繁が80年代に取り入れ、90年代に三浦大輔、山崎慎太郎、赤堀元之が使うことで広まり多くの選手に取り入れられてきた。 規則に投球動作の「反則」の規定はあったものの、日本では反則となる境界線が不明瞭な状態が長きにわたって続いており、二段モーションは暗黙のうちに認められてきたとされる。例外的に、1995年の開幕戦で日本ハム上田利治監督が近鉄山崎慎太郎の二段モーションに対し、「完全にルール違反や」と2度抗議に出ている。 2005年、野球の国際化を目指すという方針が打ち出され、規則の条文を日本独自に解釈するのでなく、条文の通りに厳格に適用することが国際化であるとし、これを理由に二段モーションの規制が強化された。 しかし、審判員によって二段モーションを宣告する基準がまだまだあいまいである点などいくつかの問題点を残していた。また、規制強化に伴い投球フォームの変更を強いられた投手が多数発生した。 なお日本で二段モーションとして指摘された投手がMLBの審判に問題ないとされたり、日本で問題なかった投手がMLBで注意を受けるケースがあった。これは、ルールに則るなら二段モーションではなくストップモーション(投球動作途中静止)として線引きの議論する所を、二段モーション規制にしてしまったせいで本質のルールが無視されてしまったことに原因がある。アテネ五輪では二段モーションは反則にはならなかった。
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