日本の漢詩とは? わかりやすく解説

日本の漢詩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 08:23 UTC 版)

漢詩」の記事における「日本の漢詩」の解説

漢文学」も参照 漢詩中国文学の中で生まれたが、中華文明伝来に伴い日本でも作られるようになった751年には日本におけるごく初期漢詩集として『懐風藻』が編纂された。9世紀には、814年凌雲集818年文華秀麗集827年経国集』と三つ勅撰集編まれた。その後905年に『古今和歌集』が編纂されるまで、和歌日本文学の中で漢詩対等な位置得られなかった。平安時代物語などでは、「詩」と単に書けば漢詩意味しからうた」という訓まれた。その後漢詩文影響強く和漢朗詠集』にも数多く作品収められている白居易は特に好まれた。平安期代表詩人には、空海島田忠臣菅原道真らがいる。 その後鎌倉室町期には、禅林に「五山文学」が花開いた代表詩人には義堂周信絶海中津があり、一休宗純には『狂雲集』がある。 日本漢詩頂点は、江戸期から明治初期にかけての時期であり、朱子学背景に「文人」と呼ばれる詩人たちを多く輩出した江戸前期石川丈山元政日政)らの後、江戸中期には荻生徂徠門人たちが派手な唐詩風で活躍し江戸後期には菅茶山らの落ち着いた詩風愛された。また、頼山陽の詩は今日広く詩吟として愛吟されている。幕末には島津久光伊達宗賢などが名人として知られている。20世紀以降急速に衰退したが、大正天皇夏目漱石森鷗外中島敦漢学教育受けた文化人漢詩をたしなんだ。 現在でも自作漢詩集を著している陳舜臣等、漢詩創作愛好家存在しており、月刊誌大法輪では読者投稿した漢詩毎号掲載されている。また、自らは創らないのものの、書道世界では漢詩は読むもの、見るものとして基礎的な教養一部となっている。また、学校教育でも、漢詩にふれることが多い。 ただし、明治期以降日本創作され漢詩中国語での発音考慮していないため、韻律本場中国基準からすると破格であり(中国語発音漢詩吟じる響きよくない)、漢詩として評価されないものが多いと言われる。これは、江戸期以前漢詩を学ぶということは当然に漢字毎の音韻学び漢詩平仄にあった作詩をすることであったに対して中国語ではなくとも、日本語でも、本来の漢詩リズムを味わうことができるよう、工夫されたものが字音仮名遣いである)、明治期以降日本漢文学習では、日常使用無関係になった音韻学習軽視され訓読重視されたことが原因である。しかしながら夏目漱石漢文中国語吟じられても美しいとされ、それを録音したCD販売された事もある。

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