旗本春日家
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旗本春日家の先祖は、大織冠鎌足公十六世宮内卿正三位内蔵頭経家嫡男、左衛門佐正二位藤原家李始号春日氏に起立する。春日家は最上位の官位である大織冠(だいしきかん)を冠した藤原鎌足の系統で鎌足の16世(代と同意)に当たる藤原北家末茂流の宮内卿正三位の内蔵頭藤原経家(1149年-1209年、歌人としても活躍し勅撰和歌集にも歌が残る。)の嫡男である左衛門佐正二位の藤原家季(1192年-1250年)が、初めて本姓藤原氏に代えて家名を春日家とし春日家季の20世である従四位上総州太守藤原春日行忠朝臣を旗本春日家の始祖としている。 旗本として徳川将軍家に仕えるまでの春日家は足利尊氏の家臣として足利将軍家に仕え、観応3(1352)年9月18日に将軍足利尊氏より春日八郎行元に軍功の賞として武蔵国足立郡桶皮郷を賜り春日家の歴代の所領とした。室町幕府滅亡後に関東管領上杉氏、その後に北条氏康の家臣となる。天正18(1590)年、豊臣秀吉の関東追討の折、春日家の陣館は豊臣側の手に落ち、北条氏政の子、北条氏房が岩槻城主となるまで岩槻城主であった春日下総守入道景定とその子、春日左衛門家吉は共に北条氏房の執政として従い小田原城に籠城。同年7月に小田原城が墜ちると北条氏房、春日親子は共に和歌山県の高野山の高室院などにて蟄居。その後、豊臣秀吉により許され朝鮮出兵のため、肥前唐津(現 佐賀県唐津市)名護屋城に入城するが、天正20(1592)年4月に北条氏房が病没した為、春日親子は同地にて蟄居する。 文禄4(1595)年、本田佐渡守正信を上使として徳川家康より父春日下総守景定には1500石、子の春日左衛門家吉へは550石、親子合わせて2050石を武蔵國足立郡の春日家の旧領地(足利尊氏拝領以降の所領地)中野田村内に賜り、徳川家の旗本として旧領に復帰。旗本春日家の江戸幕府の役職としては、元和元(1615)年に景定に京都伏見城の治部少輔丸(西の曲輪)を授けられ、城代補佐としての伏見城番(景定は伏見城番在勤中500石を加増され2000石、与力30騎)を仰せられる。さらに、寛永2(1625)年に京都二条城の城番に家吉(2000石、与力30騎に加え新規に同心15名が召し抱えられる)が就任。その後も、二条城追手門(東大手門。二条城の正門)の御門番組、「春日組」として後世に残る。 旗本春日家には、本家本流(春日景定の拝領地1500石の系譜と、景定の子、春日左衛門家吉の拝領地550石の系譜)2家から分家した別家2家(全て旗本)を合わせて2730石、4家存在する(全て旗本)。15代春日左衛門顕道は以下①の5代春日家春(550石)の系譜。① 4代春日左衛門家吉の長男、5代春日家春(祖父景定の1500石を父家吉が相続した際に、家吉の550石を相続)よりの系譜で、15代春日左衛門顕道まで続く旗本850石(拝領屋敷、四谷)。左衛門顕道の祖父13代の春日左太郎顕秀(②の系譜の当主春日左次郎の次男(初名、春日左門)が12代当主春日左太郎龍顯の継養子となる)は江戸城西丸御小姓組に番入後、天保11(1840)年6月2日に大阪城在番となり、大阪及び京都の三御所、禁裏、大宮、東宮、二条城および洛中付近に至る目付を担う。この系譜の春日家当主の多くは「左太郎」用いた。 ② 5代春日家春の系譜から分家した別家で、8代従五位下春日河内守貞顯(1150石)の次男、春日左京顯憲(父貞顯1150石より元禄14(1701)年に武蔵國足立郡上野本郷村等300石のみ分割相続)が興した別家の系譜で小姓組組頭の旗本300石。この系譜の別家春日家当主は本家の官途名「左衛門」を名乗らず、岩次郎、熊次郎、左次郎などを用いた。(拝領屋敷、小日向水道町(現在、東京都新宿区新小川町5丁目9及び14~19))この系譜の幕末時点での春日家当主は、御小姓組(戸川近江守組)組頭の春日半五郎。 ③ 4代春日左衛門家吉の次男、春日左衛門家次(5代家春が早世したため祖父春日景定よりの武蔵國足立郡1500石を父家吉より相続)の系譜で、春日左衛門義陣、春日惣九郎行乗、春日左衛門行雅へと続く、旗本の御書院番1080石 。景定よりの1500石を 4代左衛門家吉より家督相続した、左衛門家次の系譜の春日家当主が、官途名(通称として記される官職)「左衛門」を名乗るため、歴代の当主である「春日左衛門」が複数名存在する。初名の多くは「与市(興市)」を用いた。(拝領屋敷、下谷大恩寺前(現在、東京都台東区竜泉3丁目22) ④ 4代春日左衛門家吉の次男、春日左衛門家次の次男である春日八郎左衛門家久が興した別家の系譜で旗本の御書院番、甲府勤番500石(常陸国新治郡500石を家次嫡男の春日左衛門義陣より分割相続)。この系譜の別家春日家当主は本家の官途名「左衛門」を名乗らず、歴代の多くは「左兵衛」を用いた。 旗本春日一族(上記4系譜の全て)の家紋は、定紋の表紋は「春日輪宝」で、替紋は「羯磨」と「一輪牡丹」。
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