旗本浅野家(再興・赤穂浅野家) ※ 1986年(昭和61年)絶家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:53 UTC 版)
「浅野氏」の記事における「旗本浅野家(再興・赤穂浅野家) ※ 1986年(昭和61年)絶家」の解説
その後、広島浅野宗家にお預けとなっていた浅野長矩の弟の浅野長広が宝永6年(1709年)8月20日に将軍綱吉の死去に伴う大赦で許され、宝永7年(1710年)9月16日に改めて安房国朝夷郡・平郡に500石の所領を与えられ、旗本に復した。またこれとは別に、浅野宗家からも300石を支給され続けた。これにより、赤穂浅野家は旗本ながら御家再興を果たした。
※この「旗本浅野家(再興・赤穂浅野家) ※ 1986年(昭和61年)絶家」の解説は、「浅野氏」の解説の一部です。
「旗本浅野家(再興・赤穂浅野家) ※ 1986年(昭和61年)絶家」を含む「浅野氏」の記事については、「浅野氏」の概要を参照ください。
- 旗本浅野家 ※ 1986年絶家のページへのリンク