戦後の治水
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大井川の治水は山内一豊による「一豊堤」以降、主な河川改修は堤防建設・改修を中心とした高水敷改修が主流であった。戦後もその傾向は変わらなかったが1954年9月の洪水を機に本格的な改修が求められ、河口の駿河湾から島田市神座・神尾地点までの24.9 km区間が旧河川法による指定区間に指定され、建設省(現・国土交通省)による直轄管理の対象とされた。1967年(昭和42年)5月には新河川法の制定に伴って大井川は一級水系に指定され、水系一貫の治水計画が行われることとなった。 これによって1974年(昭和49年)3月に「大井川水系工事実施基本計画」が策定された。しかし、同年7月7日の七夕豪雨によって静岡県内には甚大な被害が生じ、大井川水系も大きな被害を受けた。このため建設省は根本的な河川改修として多目的ダムによる洪水調節が必要であると方針を固め、「大井川水系工事実施基本計画」が改訂された。その結果、大井川上流から中流域の治水について、1971年(昭和46年)より予備調査が進められていた榛原郡本川根町(現・川根本町)長島地点のダム計画が正式な事業として進められることとなった。これが大井川水系唯一の多目的ダム・長島ダムである。しかし、当時は後述するダムによる大井川の河水枯渇が問題化しており、ダム建設には水没地区の住民による反対があったほか、下流住民からも懐疑的な意見が多かった。建設省は水源地域対策特別措置法の指定や流水復活のための電力会社と地元の仲介を積極的に行う等して事業への理解を求め、計画発表から28年後の2000年(平成12年)に長島ダムは完成した。ダムの完成により、大井川の治水はもとより大井川用水の水源として上水道・農業用水・工業用水の供給が行われ、地域の水がめとして重要な役割を担っている。また、長島ダムは新たな観光地として多くの観光客を集めている。 一方大井川下流から河口については、東海地震による津波対策が行われている。大井川流域は「東海地震に関する地震防災対策強化地域」に指定されているほか、東海地震と連動して発生するといわれている東南海地震の被害も予測されており「東南海・南海地震防災対策推進地域」にも指定されている。このように地震に対して対策が行われているのは、地震による津波被害は駿河湾沿岸に集中するが、大井川を遡上した津波による内陸部への被害も警戒されているためである。特に河川を遡上する津波は1964年(昭和39年)の新潟地震による信濃川、2003年(平成15年)の十勝沖地震による十勝川、2011年(平成23年)の東日本大震災における北上川などで確認されているため、こうした津波被害を回避するための堤防補強などの対策も現在実施されている。 こうした総合的な治水対策を推進するため、現在「大井川水系工事実施基本計画」に替わる新しい大井川治水計画、「大井川水系河川整備計画」が現在策定されている最中である。
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