戦後の江古田町と駅周辺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:09 UTC 版)
江古田駅周辺の戦後復興は早く、バラック建てのマーケットが建てられた。1946年(昭和21年)、日本大学専門部板橋工科が芸術科に戻った。1948年(昭和23年)には江古田市場(17店)が開設された。1950年 (昭和25年)、映画館の江古田文化劇場が開設された。娯楽の少ない当時にあって江古田の住民に名画を提供した。1955年(昭和30年)には武蔵野百貨店(11店)が開設された。 1953年(昭和28年)ごろまで存続した糞尿集積所は廃止され、翌年から食品卸売市場になったが、1967年(昭和42年)に高野台に移転した。1953年ごろから千川上水の暗渠化に伴い、千川堤の桜は次々に伐られていった。江古田駅南口方面の千川堤植桜楓碑は江古田浅間神社境内に移された。現在の千川通りは江古田駅から中村橋駅にかけての桜並木が知られるが、これは1984年(昭和59年)ごろに植栽されたものである。
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